保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

ペンス米副大統領の対中演説について(2) ~見て見ぬ振りは卑怯~

nothing in the past year has put on display the Chinese Communist Party’s antipathy to liberty so much as the unrest in Hong Kong.

Hong Kong has served as an important gateway between China and the wider world for 150 years. Hong Kong is one of the freest economies in the world, with strong, independent legal institutions and a lively free press, and it’s home to hundreds of thousands of foreign residents.

Hong Kong is a living example of what can happen when China embraces liberty. And yet, for the last few years, Beijing has increased its interventions in Hong Kong and engaged in actions to curtail the rights and liberties of its people — rights and liberties that were guaranteed through a binding international agreement of “one country, two systems.”

(snip) We respect the sovereignty of nations. But America expects Beijing to honor its commitments, and President Trump has repeatedly made it clear it would be much harder for us to make a trade deal if the authorities resort to the use of violence against protestors in Hong Kong.

(過去1年間で、香港の騒乱ほど中国共産党の自由に対する反感を示したことはありません。

香港は150年間、中国とより広い世界との重要な玄関口としての役目を果たしてきました。香港は世界で最も自由な経済圏の1つであり、強力で独立した法制度と活気のある自由な報道機関があり、数十万人の外国人居住者がいます。

香港は中国が自由を受け入れればどうなるのかの生きた手本です。それなのに、ここ数年、北京は香港への介入を増やし、人々の権利と自由、「一国二制度」という拘束力のある国際協定によって保証された権利と自由を縮小する行動に従事してきました。

(中略)私たちは国家の主権を尊重します。しかし、アメリカは北京が自らの約束を守ることを期待しており、トランプ大統領は、もし当局が香港の抗議者に対し暴力を用いるなら、我々が貿易協定を結ぶことはずっと困難になるであろうと繰り返し表明してきました)

 

 おそらくは「内政干渉だ」「主権の侵害」だと批判されるのをおそれてであろう、日本は香港の問題に対して何も言えない。

《安倍首相は香港情勢について、来日した王岐山国家副主席に「大変憂慮している」と伝えたが、ペンス氏は「米国はあなたたちに触発された」とデモ参加者との結束を明確に表明した。自由・民主主義という共通の価値を守ろうとする香港や台湾の人々との連帯を示す姿勢は、北京の顔色をうかがう日本外交への皮肉にも通ずる。

 米国の危機意識とは真逆の対中融和は、日本自身と日米同盟を不安定にする。安倍首相は「ペンス演説」を、自らへのメッセージと受け止めなければならない》(10月26日付産經新聞主張)

 日本単独で非難するのは難しいにしても、「ペンス演説」を後ろ盾にして、香港問題に対する非難声明を発することも可能なはずである。

 見て見ぬ振りをするのは「恥」である。自由を大切にしたいと思うのなら、少なくとも世界が香港を注視しているということをアピールするくらいのことは出来ないのだろうか。

《位卑(ひく)くして言高きは罪なり。人の本朝に立ちて道行われざるは恥なり。(『孟子』万章下篇第5章)

恥は自分の心にこうむることで、尊い位をはずかしめ、財禄を費やして道を実行することもできないのでは、なんの面目が立とうか。議論を押し進めて、ぎりぎりの道理を問題にするならば、これも位を盗み富を盗む盗賊だともいえよう。

そのうえ罪にあたる行為というものは外見にあらわれてだれの目にもふれるから他人にも波及するように考えられるけれども、そうではなく、その人一身にとどまるものである。逆に恥ずべきことというのは心にあるのだけれども、その害は民に及ぶのである。

だから罪と恥といずれが重く、いずれが軽いかはいわずして明らかであろう》(『講孟余話』:『日本の名著 31吉田松陰』(中央公論社)松本三之助訳、p. 93)【了】