保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

元日社説読み比べ(2) ~大事なのは「中庸」~

プーチンは言った。

“I am not trying to insult anyone because we have been condemned for our alleged homophobia. But we have no problem with LGBT persons. God forbid, let them live as they wish,” he said. “But some things do appear excessive to us. They claim now that children can play five or six gender roles.” ― Financial Times, 27 June 2019

「同性愛嫌悪の疑いで非難されているからという理由で誰も侮辱しようとはしていない。LGBTの人達に全く異存はない。そんなこととんでもない、自分が望むように生きればいい」とプーチン氏は語った。「しかし我々の目に余るようなことも実際幾つかある。彼らは、今や子供達は性の役割を56つ演じられると言う」

“Let everyone be happy, we have no problem with that,” he added. “But this must not be allowed to overshadow the culture, traditions and traditional family values of millions of people making up the core population.”ibid

「みんなを幸せにしよう、そのことに問題はない」と彼は付け加えた。「しかしこのことが人口の中核を占める数百万の人々の文化や伝統や伝統的な家族の価値観に影を投げかけることが許されてはならない」

 プーチン発言にすぐさまトゥスクEU首脳会議常任議長が反論した。

「我々はリベラル・デモクラシーを守る。時代遅れなのは権威主義、個人崇拝、寡頭支配だ」(同、朝日新聞

 が、問題は、<自由主義>か<伝統>かの二者択一ではない。大事なのは、2つの相反する価値観の平衡である。

《徳とは…何らか中庸(メソテース)ともいうべきもの--まさしく「中」(メソン)を目指すものとして--にほかならない》(『二コマコス倫理学(上)』(岩波文庫高田三郎訳、p. 71

アリストテレスは言う。

《徳とは「ことわりによって、また知慮あるひとが規矩(きく)とするであろうところによって決定されるごとき、われわれへの関係における中庸」において成立するところの、「われわれの選択の基礎をなす(魂の)状態」(プロアイレティケー・ヘクシス)」にほかならない。

 中庸(メソテース)とは、だが、2つの悪徳の、すなわち過超に基づくそれと不足に基づくそれとの間における中庸の謂いである。そしてさらにこのことは、「情念や行為において1つの悪徳は然るべき程度に比して不足し他の悪徳はそれを過超しているのに対して、徳は中を発見しそれを選ぶ」ものなることに基づいている。徳(アレテー)は、それゆえ、その実体に即していえば、またその本質をいい表わす定義に即していえば「中庸」(メソテース)であるが、しかしその最善性とか「よさ」とかに即していうならば、それはかえって「頂極」(アクロテース)にほかならないのである》(同、pp. 71-72

 やはり<自由主義>一辺倒のEUは青臭すぎて危うい。【続】