保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

丸山穂高議員が繰り返す戦争発言について(2) ~言論の不自由~

《丸山氏は今年5月、北方領土へのビザなし交流の訪問団に同行した際、元島民の団長に対し「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」「戦争しないとどうしようもなくないですか」と詰め寄った。

 問題が発覚すると、「誤解を与える不適切な発言」として謝罪・撤回したが、所属していた日本維新の会から除名された。

 その後、衆院与野党一致で「院として国会議員としての資格はないと断ぜざるを得ない」と、実質的に議員辞職を促す糾弾決議を可決した。だが丸山氏はこれを拒み、衆院議院運営委員会の理事会による聴取も体調不良を理由に応じなかった》(93日付朝日新聞社説)

 この際、私は衆院の糾弾決議を批判した。一国会議員の発言を衆院が寄って集(たか)って糾弾するようでは、言論があまりにも不自由になってしまうと危惧したからである。

《丸山氏は通常国会で、国後島へのビザなし渡航の際に戦争による北方領土奪回に言及したことなどに関し衆院から糾弾決議を受け、「国会議員としての資格はないと断ぜざるを得ない」とされた。

 事実上の辞職勧告だった。だが反省の態度を示すどころか、開き直ったように暴論を繰り返した。

 国民の代表としてふさわしくない人物であることを、改めて示したと言っていい。丸山氏は辞職が筋だと重ねて指摘しておきたい》(94日付北海道新聞社説)

 北海道社説子が、丸山穂高議員が国民の代表として相応しくないと思うのは勝手である。が、現行の選挙制度において、国民の代表として相応しいかどうかを判断するのは、国会でもなければマスコミでもない。有権者である。

《発言は問題提起の域をはるかに超えている。国会議員には節度と常識が必要だ》(95日付毎日新聞社説)

 戦争という選択子を議論の対象にさえ出来ず、<問題提起の域をはるかに超えている>などという毎日社説子、否、米国が作った檻の中に閉じ込められた戦後日本人は「小心者」である。戦争という選択肢を考えられないから北方領土竹島も奪われたままであるし、北朝鮮による拉致者も戻ってはこない。

 誤解の無いように付け加えれば、私は武力を行使して問題を解決すればよいと言っているわけではない。武力行使も視野に入れた議論すら避けているようでは「ならず者」相手に問題は解決しないと言っているだけである。

 また、私は丸山穂高議員を擁護しているのでもない。「戦争で取り返すしかない」と繰り返すだけでは単なる「お騒がせ男」でしかない。

《外国の「不法占拠」は許し難くても、武力でなく外交交渉で取り返すのが平和国家・日本の道だ。武力で領土を奪還しようとすれば相手国と戦争状態になるだけでなく、国際的に孤立し、国民の平穏な暮らしは脅かされる。そんな想像力もないのかと愕然(がくぜん)とする》(97日付東京新聞社説)

 戦争は「武力攻撃」だとしか思っていないことに愕然としてしまう。「戦争は悪」だとしか考えられない平和な戦後日本人は、世界各国が日々戦っているということが分からなくなってしまったのであろう。

 外交交渉の裏には情報戦、サイバー戦、はたまた経済戦などがあり、外交交渉は軍事力の裏付けがなければ奏功しない。

 私が主張しているのは2つ。広義の戦争を選択肢に入れない北方領土問題、竹島問題、北朝鮮拉致問題は無効であるということ、また、一国会議員を「戦争」という言葉を口にしたということで国会が糾弾したのは言論の自由からして間違っているということである。【了】