保守論客の独り言

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沖縄県民投票結果について(1) ~間接民主制を否定する直接投票~

《米軍普天間飛行場を移設するために辺野古の海を埋め立てることの賛否を問うた昨日の県民投票は、「反対」が圧倒的多数を占めた。全有権者の4分の1を超えたため、県民投票条例に基づき、結果は日米両政府に通知され、玉城デニー知事はこれを尊重する義務を負う》(225日付朝日新聞社説)

 沖縄県民の辺野古埋め立て「反対」は分かった。では普天間飛行場の移設はどうしようというのか。

 県民感情としては、辺野古埋め立ては認めない、普天間飛行場は早期に返還しろ、ということなのだろう。が、現実は、辺野古埋め立てが駄目なら普天間飛行場は存続されるということにならざるを得ない。つまり、今回の県民投票は、結果として、世界一危険とされる普天間飛行場の存続やむなしと県民が判断したということにもなりかねないのである。

 現実問題として、普天間飛行場は返還してもらい辺野古埋め立ても認めないという選択肢はない。ないと言い切っては申し訳ないがないとしか言い様がない。したがって、普天間飛行場を返還せよというのなら辺野古埋め立てはやむなしと考えるか、辺野古埋め立ては認めないというのなら普天間飛行場存続はやむなしとするのかの二者択一でしかない。

 本来、沖縄のみならず日本全土から米軍に出て行ってもらうという選択肢はあるはずであるが、今の日本の政治にそのような選択肢はない。

 沖縄県民が、辺野古埋め立ては認めない、だから普天間飛行場の存続はやむなし、と判断したのなら仕方がない。が、おそらく、否、絶対そのようなことは沖縄県民は認めないであろう。我々は辺野古埋め立てに反対しただけで、今回の投票では普天間に関しては意思表示はしていない、それどころか、普天間返還は言うまでもないことだ、と言うのだろう。

 普天間返還と辺野古埋め立てが相互に関連するような一筋縄ではいかない問題を、辺野古埋め立てに賛成か反対かなどと問うても意味がないのである。つまり、このような複雑な問題は〇×△を問う単純な投票には馴染まないということである。

 仮にこの県民投票の結果、辺野古埋め立てが阻止されたとしても、普天間が存続されれば誰が責任を負うのか。おそらく県民がその責任を負わねばならないわけだが、「みんなの責任は無責任」にしかならない。つまり、無責任な投票結果が政治を混乱させるだけだということである。

 だからこそ、選挙によって自分たちの代表を選び、その代表に自分たちの権限を委譲し結果に責任を負ってもらう「間接民主制」が敷かれているのである。沖縄の問題の1つは、この間接民主制がうまく機能していないということである。

 否、そんなことよりも、沖縄だけがこのような負担を強いられているのは、根本的には日本がかの戦争に負けたからに他ならない。敗戦によって、北の北方領土はロシアに実効支配され、南の沖縄は米軍のほしいままとなっている。戦後日本にはこれを押し返せるだけの力もなければ志もない。【続】