保守論客の独り言

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戦前の歴史認識を改める時(2) ~伊藤博文の常識的判断~

日韓併合後の補充金と称する日本政府の持ち出し(日本人の税金)は、1911年が1235万円で、それ以前の平均2500万円の半額に減った。これは残りの半分を日本政府発行の公債と、日本からの借入金で補っており、毎年日本から約2000万円前後を調達するという状況は変わっていなかった。

 これは朝鮮自体の税収入の倍額に及んでいる。

 つまり朝鮮は、財政の過半から3分の2を日本人の税金によって賄(まかな)った結果、ようやく近代化に向かって出発することができたのである。

 これ以外に、駐留日本軍二個師団の経費は、すべて日本持ちであった。

 終戦後、独立した韓国・朝鮮の教育は、日韓併合日本帝国主義の侵略政策の産物であったと糾弾するが、これがいかに歴史の実態を無視した身勝手、自己中心的解釈であるかは、いうまでもない。

 日韓併合によって、搾取され坤吟(しんぎん)したのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった》 (崔基鎬『歴史再検証 日韓併合』(祥伝社黄金文庫)、pp. 22, 24)

 日本は、朝鮮から旨味を搾り取ったのではなく、むしろ朝鮮に搾り取られたのである。

 が、そうであるならどうして日本は得るものよりも失うものの方が多い「持ち出し」の形で朝鮮併合を行ったのか、まさにそれが「謎」なのである。

 1907(明治40)年7月29日、伊藤博文京城日本人倶楽部において、新聞記者たちを前に次のように演説している。

「朝鮮国を独立国と承認すべく最初に発議せしものは予なり。而(しか)して韓国の独立を最初に承認したるは日本なり。朝鮮人の何人か自ら其独立を主張せしや。且(か)つ又朝鮮人の何人が韓国の独立を承認したる事ありや。有れば与(あずか)り聞くを得ん。

 韓人は三四千[年]来固有の独立を有する如くに言うも予は之を承認せず。日本は出来る丈(だ)け韓国を独立せしめんと欲したりき。然れども韓国は終(つい)に独立する能わず。為めに日本は日清日露の二大戦役を開くの己(や)むを得ざるを致せり。其結果として日本は遂に韓国を保護国とせり。是れ日本が禍心(かしん)を包蔵するが為なりと言わば言え、日本は自衛上実に己むを得ず韓国を保護国としたるなり。

 且つ世界の大勢を見よ。如何なる強大国といえども今日は未だ一国を以て世界の大平を維持する能(あた)わず。僅(わず)かに局部局部の大平を維持しつつあり。是れ同盟国の必要なる所以(ゆえん)にして若(も)し一葦[衣]帯水を隔つる韓国に他国の一指を染むるを許さんか、日本の独立を危うするの虞(おそれ)あり。日本は断じて韓国の日本に背くを許す能わざるなり。

 然(しか)れども日本は非文明非人道の働をして迄も韓国を亡ぼさんと欲するものに非ず。韓国の進歩は日本の大に望む所にして、韓国は其国力を発展せしむる為め勝手の行動を為して可なりと雖(いえど)も茲(ここ)に唯一の条件あり。日(いわ)く韓国は常に日本と提携すべしと云う事是なり。旭日(きょくじつ)の旗と八卦(はっけ)の旗と並び立てば日本は満足すべし。

 日本は何を苦んで韓国を亡ぼさんや。予は実に日韓の親睦を厚うするに就ては予の赤誠を貢献せんと欲す。然(し)かも日清日露の両大戦役の間韓国は何を為したるか。インツリーギウ(術策)の外に何を為したる乎。戦争中は傍観したるのみに非ずや。諸君(韓人を指す)は日本が遽(にわ)かに来って韓国を亡すならんと思うは果して何に基するか与り聞くを得ん。

 日本は韓国の隠謀を杜絶(とぜつ)する為め韓国の外交権を日本に遣(や)れと言えり。日本は韓国を合併するの必要なし。合併は甚だ厄介なり。韓国は自治を要す。(『伊藤博文演説集』(講談社学術文庫)、pp. 384-385)

 敢えて言えば、朝鮮はソ連が極東を南下してくる際の「緩衝地帯」であり、朝鮮が強くなることが日本の国益に繋がる。だから支援したということなのだろう。

 が、それも程度の問題であって、日本本土が疲弊してまで出先の朝鮮を強化するには及ばない。にもかかわらず、どうして日本は朝鮮を援助し続けたのか、やはり「謎」なのである。【続】