保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

辺野古への土砂投入について(3) ~主権在米~

日本国憲法には主権在民が謳われている。が、主権者とは憲法を制定する権限を有する者だとすれば、日本国憲法を制定したのは当時日本を占領下に置いていた米国であり、いまだこの憲法を有難く戴いている限りにおいて、日本の本当の主権は米国にあると言うべきである。謂わば「主権在米」である。辺野古の問題もこのことを抜きにしては語れない。

《沖縄に対する政権のやり方が通用するのであれば、安全保障に関する施設はもちろん、「国策」や「国の専権事項」の名の下、たとえば原子力発電所放射性廃棄物処理施設の立地・造営などをめぐっても、同じことができてしまうだろう》(12月15日付朝日新聞社説)

 これはその通りと言わざるを得ない。が、注釈を付ければ、それは米国の意向を汲んでということである。逆に言えば、日本は国策に関するような重要事項は米国の承認を踏まえなければ何事も動かせないということである。

 勿論、このような話は根拠に基づいて述べているのではない。そう解釈しなければ理解できないということである。集団的自衛権行使の容認も、安保法も、特定秘密法も米国からの要請であると考えれば腑に落ちる。

《政府は「世界一危険な」普天間飛行場を返還させるのは辺野古への移設しかないと主張する。本当にそうだろうか。

 普天間は主に海兵隊ヘリコプターの運用基地だ。危険を除去するには即刻、運用を止めることしかない。その上で訓練の分散移転など策は多くある。

 仮に辺野古新基地が完成しても、普天間の即時返還にはつながらない。米政府は、辺野古新基地の滑走路の短さなどを理由に、那覇空港滑走路の使用など八つの条件をつけている。満たさなければ普天間飛行場は返還されないと、稲田朋美防衛相(当時)も国会で明言しているのだ》(12月14日付琉球新報社説)

 要は、米国のご意向次第ということである。この情けない状態をなんとか脱さなければならないが、政府はただ沖縄と綱引きするだけで、米国から主権を取り戻そうと尽力しているとはとても思われない。

《いま国がすべきなのは、沖縄の過重な基地負担がどう解消されていくのかを、わかりやすい形で県民に示し、少しずつでも理解の輪を広げることだ。

過重な負担には、広大な基地面積だけでなく、騒音、振動、悪臭や米軍人の犯罪をきちんと取り締まれない日米地位協定の不平等性という問題もある。

地位協定の改定に取り組む姿勢をみせれば、県民が抱く「東京はワシントンの言いなり」という不信感を和らげるだろう》(12月16日付日本経済新聞社説)

 「本当の主権」は米国にある。それが分かっていない。【了】