保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

沖縄県民投票結果について(2) ~時として「妥協」も必要~

普天間基地は同県宜野湾市の人口密集地にある。事故が起きれば住民を巻き込んだ大惨事につながりかねない。2004年には米軍ヘリコプターが隣接する大学に墜落する事故があった。返還は早ければ早いほどよい。

他方、普天間が担ってきた米海兵隊の拠点という機能をただなくせば、抑止力の低下は避けられない。日米同盟は日本の安全保障の基軸であり、在日米軍への施設提供なしには成り立たない。

そこで移設先として選ばれたのが、比較的人口が少ない県北部の名護市辺野古だ。13年に当時の知事が基地建設のための埋め立て工事を承認した。

だが、14年と18年の知事選ではいずれも移設反対派が勝利し、国と対立してきた。基地負担の軽減につながらない県内移設は認められないというのが言い分だ》(2月25日付日本経済新聞社説)

 概すればこういうことになのかもしれないが、こうあっさり言われても困るところもある。沖縄の言い分は沖縄の人たちに任せるとして、私が気になるのは、日本の安全保障において日米安保が基軸であり基地提供は不可欠だということを前提としているところである。

 どうして米軍に撤退してもらって、その穴を日本が自分で埋めようという考え方がないのか。日本が独自に軍事力を増強すれば戦前の悲劇の二の舞になりかねないと怖がっているのか。それとも、自前で守るよりも米軍を置いておく方が安上がりということなのか。

 よくマスコミは米国の勝手や、中国の傲慢や、ロシアの横暴に物申せと言うけれども、自分の国すら自分で守れない国が何を言っても無駄である。自分の国を自主主体的に守ってこそ初めて国際政治において物言うことができる。その意味で今の日本には国際場裡における軍事に関する発言権は無きに等しい。

普天間の固定化を避ける緊急避難的な措置としての県内移設はやむを得まい。移設計画が浮上して20年以上がたった。白紙から検討し直すのは現実的ではない。

その一方で必要なのが、基地負担が減っていくという実感を沖縄県民に与える努力だ》(同)

 そもそも、

普天間飛行場辺野古への移設は、米軍再編の一端である。全体の計画を見ると、普天間飛行場約480ヘクタールの返還をはじめとして、嘉手納基地以南の米軍基地も含めて約1000ヘクタールが沖縄県民に返還される。北部訓練場の部分返還なども加えれば、5000ヘクタールの土地が最終的に沖縄県民に返却される見通し》(櫻井よしこ週刊新潮』2014年10月2日号)

なのであるから、将来的には沖縄から米軍を撤退してもらうにしても、暫定的に辺野古移設は致し方ないと思われる。が、そのことを知ってか識(し)らずか、沖縄県民は辺野古移設に反対票を投じたため、むしろ米軍基地縮小を遅らせることとなってしまった。

 ずっとそうだ。「妥協」を嫌って理想を要求するがあまり、その努力は踏みにじられ、現実を変えることが出来ずに苦しみ続けるという悪循環を断ち切れない。

 将来的な米軍の全面撤退の前段階として辺野古移設があると考えるべきように思うのだけれども、そのことを残念ながら賛成派も反対派も十分県民に説明してこなかったことが今回のような投票結果となったのだろう。が、時として「妥協」も必要である。理想を追い求めるだけでは、現実に跳ね返されるだけなのだから。【了】