《安倍晋三首相が来日したペンス米副大統領と会談した。「自由で開かれたインド太平洋」の推進を柱とする共同声明を発表した。
この地域の社会基盤(インフラ)整備などに日米で計700億ドル(約7兆9800億円)を拠出する大規模プロジェクトだ。
こうした巨額投資は、中国が進める経済圏構想「一帯一路」に対抗する狙いがあるとみられている。
開発支援は、日米の官民が主導し、オーストラリアやインド、東南アジア、南アジア諸国との連携を強化することを想定している》(11月14日付毎日新聞社説)
トランプ大統領の保護主義政策と矛盾する話であるが、素人トランプ大統領の放言は一旦脇に措(お)くとして、ペンス副大統領との共同声明は中国を牽制する意味でも非常に意義のあるものであろうと思われる。
《日本が同盟国である米国と連携して対中政策を構築するのは当然だ。だが、だからといって米国と一緒になって一帯一路に対抗色を強めれば日中関係が再び逆戻りする。
日米中のバランスをとり、日米と日中の関係が二律背反にならないような対応が求められる》(同)
どうして日本は中国と友好的でなければならないのだろうか。勿論、友好的であるに越したことはない。が、友好的でなければならないから言いたいことが言えない、やりたいことがやれない、そういった関係を友好的と呼ぶべきではない。
一帯一路政策の裏に見え隠れする中国の世界制覇戦略をどう判断するのか、それがあるからこそ日本は安易に一帯一路政策に与(くみ)するわけにはいかないのである。
<日米中のバランス>の意味がよくわからないが、日米関係と日中関係が二律背反となるようなことは社説子の杞憂(きゆう)に過ぎない。米国をとるのか中国をとるのかといった二者択一は有り得ないということである。
米国との関係も大事にしなければならないし、中国との関係も大切にしなければならない。そんなことは今更言うまでもない。一方で、米国の保護主義には賛同しかねるし、中国の一帯一路構想にも警戒心を解いてはなるまい。
<自由で開かれたインド太平洋>とは、中国の一帯一路の向こうを張るものとも言えようが、見方を変えれば、一帯一路に代わる選択肢を作り、中国の差配下に置かれるのを嫌う国々の受け皿を用意したとも言えるだろう。
全体主義的なやり方に対する警戒心は解くべきではないし、自由主義陣営がこれに代わるものを提示することは健全な社会を築いていくうえで必要不可欠なことであろうと思われる。