保守論客の独り言

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伊方原発の再稼働容認について

 9月26日付各紙社説は伊方原発再稼働容認に関するものだった。

四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転を差し止めた広島高裁の仮処分決定を不服とした四国電の申し立てによる異議審で、同高裁は異議を認め、再稼働を容認する決定を出した》(南日本新聞社説)

 火山リスクの評価がその焦点であった。

《伊方から約130キロの距離にあり、9万年前に超巨大噴火を起こした阿蘇山熊本県)のリスク評価が焦点だった。火砕流山口県にまで達し、世界最大級の陥没地形(カルデラ)を形成したことから、破局的噴火とも呼ばれる》(毎日新聞社説)

 9万年前の大噴火がまた起こり、130キロ離れた伊方原発にまで火砕流が到達し大事故となるかもしれない、などというのが荒唐無稽な話であることは誰も否定しないであろう。問題は、この現実味のあまりにも乏しい話を原発稼働という特殊事情においてどの程度考慮しなければならないのかということである。

《到達の恐れがゼロではないとした差し止め命令を、異議審は「社会通念」を基に否定した。

 九州など広い範囲を壊滅させる破局的噴火の発生頻度は著しく低い。このような事態を想定した規制や防災対策は、そもそも存在しない。異議審決定も、「国民の大多数は格別問題にしていない」と結論付けている。

 原則40年とされる運転期間中に破局的噴火が起きる確率を考えれば、至極まっとうな判断だ》(読売新聞)

 「社会通念」などという頼りないものを根拠にし、安全性が最大限に問われる原発再稼働を認めるのは安易に過ぎやしないかと思ってしまうけれども、運転差し止め側も9万年前の話を持ち出すような分からず屋の人達であるからいい加減さという意味では似たり寄ったりだとも言えるだろう。

 そんなことよりも私が気になるのは、福島第一原発事故当時の菅直人政権(当時)のマネジメント能力の低さの方である。原子炉冷却に失敗して爆発を引き起こしたり、放射性物質が風に乗って飛散すると予測させた方角に住民を避難させたりとおそらく総括すべき問題点は多々あったと思われる。枝野幸男官房長官(当時)が繰り返した「直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない」という無責任発言も引っ掛かる。

 森友・加計問題では安倍政権に本当のことを言うように迫ったが、自分たちの原発事故のマネジメントの失敗については口を閉ざしている。民主党原発事故前は原発推進派であったのが、事故後一転して原発廃止派となったのも責任ある態度とは思われない。

 そもそも自民党政権が米国でお払い箱になったGE(ゼネラル・エレクトリック)製マークI型原子炉を設置したのも問題であったし、津波による水没を想定せず、竜巻やハリケーンに備えて非常用発電機を地下に置く米国式設計をそのまま採用したのも問題であった。

 こういった総括が有耶無耶(うやむや)なまま再稼働されていく原発は果たして大丈夫なのかというのが私の懸念するところである。