保守論客の独り言

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「安倍1強」批判の虚しさ

自民党の総裁選で、安倍晋三首相が3選を果たした。任期は3年で、歴代最長政権も視野に入ることになった。

 石破茂元幹事長も地方票を積み増し、存在感を示すことができるとされた200票を大幅に超えた。安倍氏が国会議員票の8割を固めていただけに善戦と言える。ポスト安倍の足がかりを得たことになる。

 安倍氏は、目指した「圧勝」ができなかった。得票から読み取れるのは、「安倍1強」に揺らぎが見えてきたということだ。この結果を真摯(しんし)に受け止め、これまでの強硬な政権運営を改める必要がある》(9月21日付神戸新聞社説)

 安倍晋三嫌いの人たちは、しばしば今の政治を「安倍1強」と称し批判する。が、「安倍1強」を裏返せば、「他弱」の存在がある。安倍首相の強さよりもその他の弱さの方がはるかに目に付くし気懸りである。森友・加計問題における反安倍陣営の姿勢は余りにも醜かった。そこには安倍首相を失脚させるという「小事」に拘(こだ)わって日本をどうするのかという「大事」が御座成りにされてしまった。

 英語に Every cloud has its silver lining(あらゆる雲には銀色の裏地がある)という表現がある。日本語の「苦あれば楽あり」に当たる諺である。森友・加計問題が醜悪であったのは、安倍首相退陣後の「明るい世界」が見えなかったことにある。ただ安倍首相を辞めさせるだけでは「暗い世界」が更なる「暗黒の世界」になりかねない。

 経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは「創造的破壊」と言った。が、それは古いものを破壊すれば新しいものが生まれるという意味ではない。新しいものを創造すると共に古きものが破壊される同時進行の過程である。

 創造と破壊の源泉は同じである。既存するものへの不満が新たなものを創り、同時に、古きものを壊す原動力となるのである。もしこのエネルギーを破壊だけに使い切り、古きものがなくなってしまえば、新たなものを創り出す源を失ってしまうことになる。それでは単なる「破壊屋」でしかない。

 これまで「安倍1強」と呼ばれてきたが、それは「自民1強」と呼べるものでもあった。野党は余りにも弱すぎた。が、今回の自民党総裁選を経て分かったことは、自民党内でも「安倍1強」でしかなかったということである。

 安倍氏に対抗するのが石破氏だけというのでは余りにも寂しすぎるだろう。自由闊達(かったつ)に意見を闘わせ、党の懐(ふところ)の深さを世に示すことこそが重要であったはずなのにそうならなかった。これでは全体主義的と言われても致し方あるまい。

 神戸社説子は<「安倍1強」に揺らぎが見えてきた>と言う。が、私の印象はむしろ正反対である。党内においても「安倍1強」が確認され、ますます異論を唱えられない状況に自民党は陥(おちい)りつつある。これでは日本の政治が硬直化してしまい、時々刻々と移りゆく情勢に柔軟に対応することが難しくなってしまわないか。私はそれが心配である。