保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

『新潮45』問題から「保守」を考える(1)~「リベラル保守」中島岳志教授の批判~

東京工業大学中島岳志教授は『新潮45』問題について次のように言う。

《安倍さんも杉田さんも、自分の弱みや痛みを押し隠し、強い何かにすがろうとして「右派」という鎧(よろい)を身につけているように見えます。その先には、多様な価値を認めない独断的な政治があります。「新潮45」10月号の特集に名を連ねた筆者たちも同じではないでしょうか。痛みや苦しみ、弱みをはね返そうと、独断に満ちた暴言を吐いて見せているように感じます》(毎日新聞 10/9() 16:47配信)

 <「右派」という鎧>とはどのようなものなのであろうか。

 安倍晋三首相に見え隠れするのは米国の影である。「特定秘密保護法」だの「集団的自衛権行使容認」だの「憲法改正」だの米国の意向に沿って政権を運営しているのであれば、「米国の威を借る安倍首相」と言う方が相応(ふさわ)しい。

 また杉田水脈衆院議員は、むしろ鎧を纏わず無防備に敵陣に突っ込んでいっている感が強い。

 次の<その先>が何の先なのかよく分からないし、<多様な価値を認めない独断的な政治>というのもよく分からない。おそらくは<独断的な政治>を行う安倍首相と<多様な価値を認めない>杉田議員をくっつけて<多様な価値を認めない独断的な政治>を行う安倍首相と杉田議員ということなのであろうと思われるが、これは木に竹を接ぐようなやり方でしかない。安倍首相と杉田議員は立場がまったく異なっており、2人を同等に扱えるはずがない。

 <「新潮45」10月号の特集に名を連ねた筆者たちも同じ>も滅茶苦茶である。『新潮45』10月号に寄稿した7名は唯一松浦大悟氏が元参院議員ではあるが、他の人たちは政治家ではない。ゆえに<独断的な政治がある>と言うのは適当ではない。また、感情的に痴漢話を持ち出した小川榮太郎氏のものを除けば、他の6名は十分議論に値する論考を提示している。これを<多様な価値を認めない>などと言って切り捨てることの方が余程<多様な価値を認めない>ことになるだろう。

 否、そもそもこの騒動はLGBTの「多様性」を認めるかどうかの話であって<多様な価値>を認めるかどうかの話ではない。このあたりの言葉遣いも粗雑に過ぎる。<多様な価値>と言うのであれば、LGBTを認めないというのも1つの価値であり、LGBTを認めるなら痴漢も認めよという小川氏の考えさえも、たとえそれが暴論であったとしても、1つの価値と言えなくもないのであるから、これらを認めねば辻褄が合わない。

 中島教授は<痛みや苦しみ、弱みをはね返そうと、独断に満ちた暴言を吐いて見せているように感じます>と言うれれども、小川氏以外の論文はしっかり読めば<暴言>と呼ばれるような感情的な文章ではないことが分かるはずである。

 果たして中島教授は、実際に読んだ上でこのように言っているのであろうか。【続】