保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

政治家の失言について(2) ~御用学者の偏見~

政治家の失言について、

甲南女子大学山田尚子教授(心理学)は「『注意を引きたい』『感銘を与えたい』と思い、インパクトが強いことを言おうとする気持ちがある」と分析。ジョークやリップサービスのつもりが問題になるケースも少なくない》(2019/7/5 15:00神戸新聞NEXT)

 空世辞(lip service)は以前からもあったに違いない。変わったのは、空世辞のようなものまで批判の対象とするようになったことである。身内の会合において警戒が緩んだ発言をも世間に拡散させ炎上させるようなやり方は卑怯な手法と言うべきではないか。

 身内だから何を言っても良いということにはならない。が、何かあれば揚げ足をとろうと待ち構えるというのも下品この上ないように思われる。

性的少数者(LGBT)を巡る自民の杉田水脈(みお)衆院議員の発言などについて、学習院大学法学部の遠藤薫教授(社会情報学)は「良識や常識に異を唱えることが、皆の本音を言い当てていると勘違いしているのでは」と述べる。耳目を集めることが優先されるネットの風潮も、勘違いを助長しているとし、「異なる意見をさげすんだり排除したりする人に、対話で社会を良くする国会議員の適性があるか。有権者は考えてほしい」と呼び掛ける》(同)

 杉田論文は<異なる意見をさげすんだり排除したり>しているのではない。むしろこのようなことを言う遠藤教授の方が「異なる意見を排除」しようとしていると言うべきである。

 杉田議員は次のように主張した。

子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか》(「『LGBT』支援の度が過ぎる」:『新潮45』2018年8月号、p. 58)

 つまり、LGBTの方々のために税金を投入する大義は何かを問うたのである。

 LGBTは弱者である、彼ら彼女らを救うためには啓蒙活動が必要である、だから税金を投入しなければならない、ということなのであろう。が、世間に弱者であることを認めさせ、税金の投入を勝ち取った時点で話は逆転し、LGBTは「強者」となってしまってはいないのか。

 世の中には光の当たらない「弱者」はいくらでもいる。そういう弱者こそが本当の弱者である。

 LGBT問題は新たな社会問題であり、したがって、良識や常識に反するものである。<良識や常識に異を唱えることが、皆の本音を言い当てていると勘違いしている>のは、杉田議員ではなくLGBT推進派の方ではないか。

 議論を拒み、「弱者権力」を使って自分たちに都合の悪い意見を潰そうとしているのはどちらなのか。【了】