保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

温暖化対策「炭素課金」の愚

地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)は、ただで出すことはできない。そんな仕組みを日本でも真正面から考える時期に来ているのではないか。

 新たな温暖化対策として、CO2の排出に課す炭素税や企業間の排出量取引の本格導入に向けた議論を、環境省が審議会で始めた》(9月3日付朝日新聞社説)

 <炭素税>の議論に入る前に、<排出量取引>はCO2の排出削減とは関係のない優れて政治的なものであるということは分かっておいた方が良い。<排出量取引>をやっても排出量が減るわけではない。ただ<排出量取引>という名目でお金が動くだけである。それが分かっていながら導入しようとする環境省は相当に怪しい部署である。環境省は、悪いことは何であれ許さない「環境カルト」と化してはいないか。

《パリ協定発効で脱炭素化の機運が高まるなか、日本もいつまでも後ろ向きではいられない。環境省だけでなく政府全体で、具体策の検討を急ぐべきだ》(同)

 本当に<脱炭素化の機運が高ま>っているのなら、世界の排出量の4割を占める中国と米国に排出量削減を求めるべきである。中国や米国が削減に前向きでなければ焼け石に水でしかない。大国にものが言えないという問題もあろうが、それよりも世界が本気でCO2の排出削減を行おうと思ってはいないということではないか。つまりこの問題は政治的な利権争いと見るべきものであろうと思われるのである。

 さて、炭素税の問題である。

《排出に伴う社会的なコストをエネルギーなどの値段に反映し、関係者に負担させて排出の削減を促す仕組み…「カーボンプライシング(炭素の価格化)」》(同)

とは、ある意味で我々に物質的に豊かな生活を放棄せよということと等しい。果たしてCO2を出さずとも物質的に豊かな生活は送れるのだろうか。それは「幻想」ではないのか。

《日本にとって、再生可能エネルギーの普及は大きな課題だ。CO2を出さない再エネの競争力を底上げする効果が、炭素税や排出量取引にはある》(同)

などと言っているとすれば、この話にはやはり「利権」が渦巻いているということなのだと思われる。

 再生エネルギーの雄たる太陽光発電は、それ自体はCO2を出さない。が、その装置を作る際にもCO2が排出される。また、太陽光発電は天候に左右されやすく夜間は稼動しないということもあって、バックアップシステムが必要であり、例えば蓄電池といったものが必要となり、これまたCO2が排出される。

 また、西日本豪雨でも問題となっていたが、太陽光パネルの山間部への安易な設置は、災害を誘発しかねないなどの問題もある。

 そもそも

《再エネ支援のために発電コストを電気料金に上乗せする「固定価格買い取り制度(FIT)」》(同)

自体が利権の温床である。環境に名を借りた利権争いの疑いが濃厚である。