保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(29)西日本社説その3

《対米戦争を導くとわかっていながら、なんとなしに三国同盟を結んでしまった》(半藤一利『昭和史』(平凡社)、p. 500)

 <なんとなしに三国同盟を結ん>だなどというのは言い掛かりも良い所である。戦争は遊びではない。生死を分かつことになるかもしれない同盟をなんとなく結べるわけがない。要は、半藤氏は、この時代の政治を馬鹿にしているのである。結果が分かった現在という高みから当時を見下しているのである。

 半藤氏は「歴史家」ではなく、自称「歴史探偵」なのだから多少主観が入っても構わない、ということにはならない。本当に三国同盟は<なんとなしに>結ばれたと信じてしまう人達が少なくないだろうからである。半藤氏の著作は、何が事実で、どこが虚飾なのかが分からない。「虚飾が施された歴史」があたかも「史実」であるかのように語られている。

《良識ある海軍軍人はほとんど反対だったと思います。それがあっという間に、あっさりと賛成に変わってしまったのは、まさに時の勢いだったのですね。理性的に考えれば反対でも、国内情勢が許さないという妙な考え方に流されたのです。また、純軍事的に検討すれば対米英戦争など勝つはずのない戦争を起こしてはならない、勝利の確信などまったくないとわかっていたのですから、あくまでも反対せねばならなかったし、それが当然であったのに、このまま意地を張ると国内戦争が起こってしまうのではないか、などの妙な考えが軍の上層部を動かしていました》(同)

 <時の勢い>だの、<妙な考え>に流された、<妙な考え>が動かしただの、余りにもいい加減ではないか。自説に合わないからいい加減なのかよく分からないが、これほどやる気のない歴史記述もない。

《問題は海軍である。米内、山本時代の海軍は断固として三国同盟に反対し、陸軍その他の圧迫をはね返して微動だもしなかったのに、この時になるとすらすらと賛成してしまったのはなぜか。松岡は9月4日の首相、陸、海、外4相会議に突如として三国同盟案を提案したのであるが、当時吉田海相は病気であり、5日には及川古志郎が代って海相に就任している。そこで問題は及川の態度であるが、世上には吉田は三国同盟に反対し、懊悩煩悶(おうのうはんもん)のすえ病気になったように伝えられている。だが吉田自身は、在任中には三国同盟は問題にならなかったと否定していて、このへんはすこぶる暖味である。近衛は近衛で、まるで他人事(ひとごと)のようにつぎのように書いている。

「及川が海相になってから、海軍の態度が賛成に豹変したので豊田海軍次官に質(ただ)したところ『海軍としては実は腹の中では三国条約に反対である。然(しか)しながら海軍がこれ以上反対することは、もはや国内の政治情勢が許さぬ。故に已(や)むを得ず賛成する」

高宮太平『3代宰相列伝 米内光政』(時事通信社)、pp. 154f)