保守論客の独り言

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縄文遺跡群の世界遺産登録とアイヌ

津軽海峡を挟む「北海道・北東北の縄文遺跡群」がきのう、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。

 遺跡群は函館、千歳両市などの道内6遺跡と、青森市三内丸山遺跡などの計17遺跡で構成する。1万年以上もの長期間、農耕を伴わず狩猟や漁労を軸に定住した。

 こうした性質を持つ先史時代の定住は世界的にも珍しく、登録に当たって高く評価された》(7月28日付北海道新聞社説)

 喜ばしいことであるが、このことによって1つの「矛盾」が生じた。北海道の縄文遺跡群が認められたことで、理屈では「アイヌが先住民ではない」ということになってしまったのである。

 元北海道議の小野寺まさる氏は自身のツイッターで次のように指摘している。

《北海道の歴史において縄文時代→続縄文時代→擦文時代と続き、本州の鎌倉時代後期にいきなりアイヌ文化時代が文化が後退する形で始まったのは何故なのでしょう。また14世紀初頭の蝦夷島には日ノ本、唐人、渡党という3つの集団が存在していたことが『諏訪大明神絵詞』には克明に書かれています》(2020年9月16日付)

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 縄文の昔から北海道で豊かに暮らしていた人々がいた。アイヌが登場するのは鎌倉時代後期になってからである。

 アイヌは我々から見れば「先住民」ではあるが、「最先住民」ではない。earlierではあってもthe earliestではない。だからアイヌを「先住民族」とするのは、やはりおかしいと言わざるを得ない。

 理学博士の高田純氏は自身のツイッターで次のように述べている。

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 《よく「アイヌ縄文人の子孫」と誤解されるのですが、アイヌは日本の先住民かは大いに疑問があります。崎山理氏によると、アイヌ語は北方縄文人の言葉、ツングース語とは全く系統が異なるからです。

 分かっていることは、彼らはアムール川河口や樺太に住んでおり、日本の歴史から見ればつい最近、13世紀に、モンゴルに服属した民族を何度も攻撃・略奪し、その民族がモンゴルに訴えたため、アイヌはモンゴルの攻撃を受け、樺太からも追われ、日本へと逃れてきたことは確かです。

 こうして日本へ侵入したアイヌは、トリカブトの根の毒を鉄に塗る「毒矢」を使ったので怖れられ、北日本で勢力を拡大し、それが先住する縄文人の子孫との衝突になったのです。

 北海道や東北の縄文遺跡の民、例えば三内丸山の住民はアイヌではありません。彼らは、旧石器時代にやって来て、連綿と日本に住み続けた縄文人なのです》(長浜浩明『韓国人は何処から来たか』(展転社)、pp. 27-28

 だとすれば、アイヌは「先住民族」ではなく「侵略民族」と呼ぶべきものではないか、と私には思われるのであるが…

(追記)伝承が途絶え元の踊りが分からなくなった「創作ダンス」。私にはアイヌを冒涜する踊りにしか見えない。

https://twitter.com/i/status/1423244075906441223