保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

民意と言う名のルサンチマン

ルサンチマン:弱者が強者に対して、『憤り・怨恨・憎悪・非難』の感情を持つこと

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《私たちの願いが国政に届いているとは思えない。民意を政治に反映できる回路を、早急に再生する必要がある》(1月3日付京都新聞社説)

と社説子は言う。が、<私たちの願い>って何だ。否、そもそも国民を<私たち>などと一言で括(くく)れるわけがない。つまり、ここで言う<私たちの願い>とは、「社説子の周りにいる同じ考えの人たちの願い」ということに他ならない。

 そう考えたにしても「社説子たちの願い」が分からない。

《疑惑に正面から答えず、資料を要求されると「遅滞なく廃棄した」。批判に対しては「何ら問題はない」で押し通す-。

 昨年末に持ち上がった「桜を見る会」を巡る国会質疑で繰り返された光景は、森友・加計学園疑惑をほうふつとさせた。

 不都合な出来事を「なかったこと」にして葬ろうとする姿勢からは、国民の代表としての誇りも責任感も感じられない。

 これが、歴代最長となった安倍晋三政権の現実である》(同)

 自分たちと反りの合わない政権に疑惑を吹っ掛けて難癖を付ける。それが<私たちの願い>の中身なのか。

 おそらくそうなのであろう。自分たちの思い通りにならない「怨恨」(ルサンチマン)をこのような形で開放しているのであろう。

《昨夏、首相側近が、低調な憲法改正論議衆院議長の交代論を結びつける発言をした。官邸が国会を下請け機関のようにみなしている象徴といえた》(同)

 勿論、官邸が国会を見下しているのだとすれば、それは宜しくはないと思う。が、その責任は国会にもある。「桜を見る会」などに拘る野党は放っておいて、問題は国会の3分の2の議席を占める与党の方である。

 与党内で異論、反論が出て来ないのが国会が不活性である最大の原因であろうと思われる。したがって、今のような「大政翼賛」の形を改め、つまり、与党を2つに割って、しっかり議論の出来る体制を構築すべきである。

《「1強」政治の下で何を言っても無駄-と有権者に思わせているのなら、政治の罪は重い。投票への参加で未来は変わると訴えることができるかどうか、与野党ともに問われている》(同)

 よく言われるように「1強」ではなく「多弱」なのである。反政権の受け皿がないのが最大の問題であり、それは政治だけではなくマスコミの<罪>も大きい。

有権者も政治をあきらめず、各党の主張に耳を傾けたい》(同)

 耳を傾けようにも森友、加計、桜では耳の傾けようもない。