保守論客の独り言

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日韓関係について(3) ~陸奥宗光の目~

陸奥宗光は『蹇蹇録(けんけんろく)』で朝鮮統治について次のように書いている。原文には句読点がなく読みづらいので、口語試訳を添えておく。

《抑々(そもそも)我國の獨力を以て朝鮮内政の改革を擔任すべしとの議の世間に表白せらるゝや我國の朝野の議論實に翕然(きゅうぜん)一致し其言う所を聽くに槪(おおむ)ね朝鮮は我鄰邦なり我國は多少の艱難(かんなん)に際會するも鄰邦の友誼に對し之を扶助するは義侠國たる帝國として之を避くべからずと云わざるなく其後兩國已に交戰に及びし時に及んでは我國は强を抑え弱を扶け仁義の師を起こすものなりと云い殆ど成敗の數を度外視し此一種の外交問題を以て宛(あたか)も政治的必要よりも寧(むし)ろ道義的必要より出でたるものゝ如き見解を下したり》(陸奥宗光『蹇蹇録』(岩波文庫)第5章 朝鮮の改革と清韓宗との問題に関する概説:朝鮮内政改革問題に対し我国朝野の議論、p. 45

【口語試訳】そもそも我国が独力で朝鮮の内政改革を担当すべきだとの意見が世間に表れると、我国の世論は一つとなり、その話を聞けば、概ね「朝鮮は隣国である。我国は、多少困難があっても朝鮮との友好を助ける義侠国の国家としてこれを避けるべきではない」と言う。その後、両国がすでに交戦に至った時は、「我国は、強きを抑え弱きを扶(たす)ける仁義の戦(いくさ)を起すものだ」と言って、ほとんど成功と失敗の計算を度外視し、この一種の外交問題をあたかも政治的必要よりも、むしろ道義的必要から来るかのような判断を下したのである。

《尤(もっと)も斯(かか)る議論を爲す人々の中にも、其胸祕を推究すれば陰に朝鮮の改革を名として漸(やうや)く我が版圖(はんと)の擴張を企畫し然らざるも朝鮮を以て全く我保護國とし常に我權力の下に屈服せしめんと企畫したるものもあるべく》(同)

【口語試訳】もっともこういった議論をする人々の中にも、その胸の奥を探れば、ひそかに朝鮮の改革を名目に徐々に我国の国土拡張を企図したり、あるいは朝鮮を完全に我国の保護国としていつも我国の権力下に屈服させようと企図したものもいる。

《又實に朝鮮をして適應の改革を行わしめ褊小(へんしょう)ながらも一個の獨立國たるの體面を具えしめ他日我國が淸國若(もしく)は露國と亊あるの時に際し中間の保障たらしめんと思料したるものもあるべく》(同)

【口語試訳】また朝鮮に適当な改革を行わせ、小さいながらも一個の独立国としての体面を具えさせ、他日、我国が清国もしくはロシアと事を構える時には、中間で保障することを考えたものもあった。

《又或は大早計にも此際直に我國より列國會議を招集し朝鮮を以て歐州大陸の白耳義(ベルギー)端西(スイス)に於けるが如き列國保障の中立國となすべしと擬議したるものもありと聞けども是れ孰(いず)れも大槪個々人々の對話私語に止り其公然世間に表白する所は社會凡俗の輿論と稱する所謂弱を扶け强を抑ゆるの義侠論に外ならざりき》(同、pp. 45-46

【口語試訳】また、まったく早計にも、この際、直ちに我国より列国会議を招集し、朝鮮をヨーロッパのべルギーやスイスのような列国保障の中立国とすべきだなどと論議したものもあったと聞くが、これらはいずれも大概、個人の私的な会話に止まり、公に世間で言われるところは、社会一般の世論と称する「弱きを扶(たす)け、強きを抑える義侠論」に外ならなかった。

《余は固より朝鮮内政改革を以て政治的必要の外何等の意味なきものとせり亦毫も義侠を精神として十字軍を興すの必要を視ざりし故に朝鮮内政改革なるものは第一に我國の利益を主眼とするの程度に止め之が爲め敢て我利益を犧牲とするの必要なしとせり》(同、p. 46

【口語試訳】私は元々、朝鮮の内政改革が政治的に必要だということ以外は何の意味もないことだとしてきた。また、まったく義侠心でもって十字軍を立ち上げる必要性を見なかった。だから朝鮮の内政改革は、第一に我国の利益を主眼とする程度に止め、よって敢えて我国の利益を犠牲とする必要はないとしてきた。

《且(か)つ今囘の亊件として之を論ずれば畢竟(ひっきょう)朝鮮内政の改革とは素(もとも)と日淸兩國の間に蟠結(はんけつ)して解けざる難局を調停せんが爲めに案出したる一箇の政策なりしを亊局一變して竟(つい)に我國の獨力を以て之を擔當せざるを得ざるに至りたるものなるが故に余は初より朝鮮内政の改革其亊に對して格別重きを措かず又朝鮮の如き國柄が果して善く滿足なる改革を爲し遂ぐきや否やを疑へり》(同)

【口語試訳】一方、今回の事件としてこれを論ずれば、要するに朝鮮の内政改革とは元々、日本・清両国間でわだかまって固まり解決できない難局を調停するために案出された一つの政策であったが、情勢が一変し我国が独力でこれを担当せざるを得なくなったので、私は初めから朝鮮の内政改革自体に対しては格別重きをおかず、また、朝鮮のような国柄が果して善く満足なる改革をなし遂げることができるかどうかに疑問があった。【続】