保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

戦前の歴史認識を改める時(4) ~日韓併合は義侠論?~

《水旱(すいかん)凶歉(きょうけん)の多きは、これ人事の修まらざるに由る。これを修むればすなわち防虞(ぼうぐ)の方無きにあらざるなり。たとい合同せざるもまた、餓莩(がひょう=餓死者)野に横たわる有らば、よろしく交々(こもごも)これを救うはこれ友国の情誼(じょうぎ)なり。いま両国を合してもって水旱を防ぐの方を講ぜば、救恤(きゅうじゅつ)の費を節し、共に富強の域に進むを得るなり。また善からずや。

朝鮮に禍乱の兆有るは、実にしかり。しかれども禍乱なるものは、人為なり。天造にあらざるなり。合邦の制成りてその弊革(あらた)まらば、また自然に消滅せん。

自主の気象乏しきは、小弱の常なり。我と相合すれば強大を致す。強大を致さば自主の気象また発暢(はっちょう)するは自然の勢なり。かつそれ、これと相合すれば清・露と通商の便を得。これ我が第一の利なり。

韓人は体軀(たいく)大にして膂力(りょりょく)強し。ゆえにわが兵制を習い、わが兵器を用うれば、露寇を防ぐに足る。これわが第二の利なり。

たといこの利無くも、両国の地勢は輔車唇歯(ほしゃしんし=親密な関係)相依る。いずくんぞ相離るべけんや》(樽井藤吉『大東合邦論』竹内好訳:『現代日本思想大系アジア主義』(筑摩書房)、pp. 117-118

 説得力のないことこの上ない。「こうなれば、こうなる」という話は頭の中の世界、すなわち「空想」でしかない。「こうなれば」という話は簡単には「こうならない」。合邦化すれば、朝鮮の諸々の問題は解消されて、日本に利益がもたらされるなどというのは「空手形」に過ぎない。

 一方、実際外交に携わった陸奥宗光は、このような話は弱きを助け、強きを挫く『義侠論』だと喝破する。

《抑々(そもそも)、我国の独力を以て朝鮮内政の改革を担任すべしとの議の世間に表白せらるゝや、我国の朝野の議論、実に翕然(きゅうぜん)一致し、其言う所を聴くに、概(おおむ)ね、朝鮮は我隣邦なり、我国は多少の艱難(かんなん)に際会するも、隣邦の友誼(ゆうぎ)に対し、之を扶助するは義侠国たる帝国として、之を避くべからずと云わざるなく、其後両国已(すで)に交戦に及びし時に及んでは、我国は強を抑(おさ)え弱を扶(たす)け仁義の師を起すものなりと云い、殆ど成敗の数を度外視し、此一種の外交問題を以て、宛(あたか)も政治的必要よりも、寧(むし)ろ道義的必要より出でたるものゝ如き見解を下したり。

尤(もっと)も、斯(かか)る議論を為す人々の中にも、其胸秘を推究すれば、陰に朝鮮の改革を名として漸(ようや)く我が版図(はんと)の拡張を企画し、然(しか)らざるも朝鮮を以(もっ)て全く我保護国とし、常に我権力の下に屈服せしめんと企画したるものもあるべく、又、実に朝鮮をして適応の改革を行わしめ、褊小(へんしょう)ながらも一個の独立国たるの体面を具(そな)えしめ、他日我国が清国、若は露国と事あるの時に際し、中間の保障たらしめんと思料したるものもあるべく、又或は大早計にも、此際直に我国より列国会議を招集し、朝鮮を以て欧州大陸の白耳義(ベルギー)、端西(スイス)に於けるが如き、列国保障の中立国となすべしと擬議したるものもありと聞けども、是れ孰(いず)れも大概個々人々の対話私語に止り、其公然世間に表白する所は、社会凡俗の輿論(よろん)と称する、所謂(いわゆる)弱を扶け強を抑ゆるの義侠論に外ならざりき》(『蹇蹇録』:第5章 朝鮮の改革と清韓宗との問題に関する概説:朝鮮内政改革問題に対し我国朝野の議論)

 日清戦争以降、日本は大陸に引き込まれるように、朝鮮を助け、満洲を切り拓き、支那の平定を行ったわけだが、果たしてこれらは必要だったのか。算盤勘定がまったく合わない大陸進出を戦勝国史観の「侵略」の一言で終わらせられるようなものではない。どうして引きずり込まれたのか、客観的検証が必要であろうと思われる。【了】