保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「トロッコ問題」で不安を感じる子供たち(2) ~第3の選択肢の愉快~

線路上を走るトロッコが制御不能になり、そのまま進むと5人の作業員が確実に死ぬ、5人を救うためにポイント(分岐点)を切り替えると1人の作業員が確実に死ぬ。この状況下で、線路の分岐点に立つ人物(自分)はどう行動すべきか。

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《道徳的ジレンマのなかには、対立する道徳的原理から生じるものがある。たとえば、路面電車の物語にかかわる一つの原則は、できるだけ多くの命を救うべしというものだ。ところが別の原理は、正当な理由があっても無実の人を殺すのは間違いだという。多くの命を救うために罪のない一人の人を殺さざるをえないという状況に直面すると、われわれは道徳的に板挟みになる。どちらの原理がより重要なのか、あるいは、こうした状況ではどちらがより適切なのかをはっきりさせねばならない》(マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)鬼澤忍訳、p. 35)

《助かる命の重さを比べれば当然ポイントを切り替えそうなのに、少なくない人が「なにもしない」。逆に「切り替えると5人死ぬ」なら全ての人が「なにもしない」を選ぶ。命の天秤の2択は同じでも、自分の手で状況を変えるかどうかが人の決断に大きくかかわるのだ》(『坂村健の目』「社会のトロッコ問題」:毎日新聞2019年5月16日)

 自ら決断し、自ら責任を負うことを忌避する。これはまさに憲法9条と瓜二つである。日本は他国の揉め事には関わらない。そういった「国民性」は戦後憲法の影響が大きいように思われる。

《日本は特に「変えることを恐れる」傾向が強い。それは責任感が強くて不安に弱い国民性から、変えたことの心理的負担を取りたくないということなのかもしれない。しかし技術が世界を大きく変えている現在…「変える勇気」が必要な社会的「トロッコ問題」はますます増えていく。未来の世代のために、変えることによるリスクを引き受けても、先に進むべきときが来ている》(同)

 置かれた状況を自らの責任で変える、その勇気が時として必要であることに異論はない。であれば、真っ先に世界の出来事に関わらないことを宣言した憲法は変えるべきである。

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した

 などという情けない宣言文句は取り下げねばならない。

 話を戻そう。実は「トロッコ問題」には第3の選択肢がある。

「ポイントを“中立”の状態にすればトロッコはすぐ脱線して止まり、全ての作業員を助ける事が出来ます」

 二者択一のジレンマを昇華する第3の選択肢。思ってもみなかった非凡な意見に出会えるのは「愉快」である。【了】