保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

表現の自由と公共の福祉(3) ~一元的内在制約説~

《各人の人権の享有およびその主張に対して、なんらかの制約が要請されるとすれば、それは、つねに他人の人権との関係においてでなくてはならない。人間の社会で、ある人の人権に対して規制を要求する権利のあるものとしては、他の人の人権以外には、あり得ないからである。この社会においてそこに生きる人間をとりまく物心両面の条件は、個人個人によって、いろいろなちがいがある。その結果として、各個人のあいだに、意見や利益の各種のちがいがうまれる。

ある個人の人権の主張は、多くの場合において、他人の人権と多かれ少なかれ矛盾し、衝突する。社会生活が維持されるためには、こうした矛盾・衝突を調整することが必要である》(宮澤俊義法律学全集4 憲法II[新版]』(有斐閣)、pp. 229-230) 

 この宮沢氏の主張が「一元的内在制約説」と呼ばれるものであり、人権相互間の矛盾・衝突を調整する原理が「公共の福祉」だと言うのであるが、一方で次のような批判もある。

《人権を制約する根拠となるのは,かならず他の人権でなければならないとの前提は,「人権」という概念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難である。たとえば表現の自由を規制する根拠として持ち出される街の美観や静穏,性道徳の維持,電波の混信の防止などは,いずれも個々人の権利には還元されえないものであり,社会全体の利益(公共の福祉)としてしか観念しえない。

一元的内在制約説のよって立つ前提は,政府がかならずしも個々人の権利には還元しえない社会全体の利益としての公共の福祉の実現を任務としているという明白な事実をあいまいにするばかりでなく,現にある人権が制約されている以上,その制約根拠となっているのも人権であるという誤った思考を導く危険がある》(長谷部恭男『新法学ライブラリー2 憲法 第6版』(新世社)、p. 102)

 さらに次のような批判もある。

《一元的内在制約説は,人権が本来互いに矛盾・衝突するものであって,それを調整するために公共の福祉に従って制約されざるをえないものであるとするが,そこには,およそ人は自らの好むことは何であれこれをなしうる天賦の「人権」を有するという前提がある(樋口・憲法200-03頁)。つまり,人は財産権や表現の自由を有するのみでなく,人殺しをする自由,強盗をする自由,他人を監禁・暴行する自由などを天賦人権として有する。

このような無制限の自由を各人が好むところに従って行使したとき,社会生活が成り立たないことは明らかであり,「人権」は公共の福祉の観点から制約されねばならない。殺人や強盗,暴行,監禁が制約されることと,所有地の建築制限,デモ行進の時・所・方法の規制,職業の許可制などは,同じ公共の福祉という概念で一元的に説明がつくことになる》(同)【続】