保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

山本太郎・れいわ新選組代表を考える(2) ~付け焼刃の批判~

《安倍政権、そしてアベノミクスは「新自由主義」ではありません。現政権の経済政策は典型的なケインジアンであって「新自由主義からかけ離れた」ものです。財政拡大を繰り返しながら中央銀行に意図的に大規模な金融緩和を強いる行為は、新自由主義の経済政策とは正反対のものです》(渡瀬裕哉「アベノミクス新自由主義という人は馬鹿か確信犯」:『アゴラ』2016年04月18日 06:01)

 今の安倍政権は「新自由主義」ではなく、言うなら「縁故資本主義」である。

《縁故資本主義の下では、政権と癒着する大企業らが利益を上げることができます。そして、縁故資本主義の具体的な政策とは、財政拡大・金融緩和という大きな政府を実現する政策なのです。

 政権に近しい人々が利益を上げる財政出動、金融資産保有者が利益を上げる金融緩和、アベノミクスは縁故資本主義の教科書のような政策です。

 そして、左派は縁故資本主義に基づく大きな政府の政策によって人為的に発生した格差を「まるで自由市場が作り出したかのように偽装する」ことで自らの存在意義を日本の世間にアピールしているのです》(同)

 このあたりのことを山本太郎氏はどれだけ理解した上で「新自由主義」という言葉を用いているのであろうか。

《本来は、人々の力によって、国はコントロールできます。だからこそ選挙があるのです。しかし、人々が政治と距離を置き、政治に期待しなくなってしまったことによって、人々のコントロール権がずっと奪われ続けてきた。このコントロール権を取り戻し、もう一度人々の生活を底上げしたいのです》(『月刊日本』2019年9月号、p. 45)

 意味不明である。選挙に興味関心のない有権者が投票するようになれば<国をコントロールでき>るとはどういう理屈なのか。有権者投票権を行使しなかったことを<国のコントロール権>が奪われたなどと言うのは詭弁(きべん)でしかない。

《生産性で人間の価値を判断する社会が加速していけば、やがて国が人間の命の期限を切るような時代になっていきます》(同、p. 46)

 これも必然性のない「妄想」である。

参院選におけるれいわ新選組の街頭演説には、大勢の人が集まり、凄まじい熱気を帯びていました。しかし、テレビは全く報道しませんでした。

山本 忖度したのでしょう。忖度のために、「政党要件を満たしていなければ扱えない」というルールが、最大限に利用されました》(同)

 誰に<忖度>したというのか。森友問題と同様に安倍晋三首相にということなのか。おそらく政党要件を満たしている政党を公平に扱うという了解事項に従ったまでで、忖度とかというような話ではないだろう。【続】