保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

山本太郎・れいわ新選組代表を考える(1) ~山本太郎氏は扇動家~

月刊日本』最新号に山本太郎・れいわ新選組代表の「死にたくなるような社会は、もう止めにしたい」なる記事が掲載されたので、これに検討を加えたい。

2011311日に東日本大震災が発生し、福島第一原発事故が起こりました。政治は子どもたちを守らなければならないはずです。ところが、文部科学省419日、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年間20ミリシーベルトというとんでもない基準を示したのです。一般の大人の年間許容量である1ミリシーベルトを大きく超える基準です。まるで死刑台に向かって、列を作らされているようなものだと思いました》(『月刊日本20199月号、p. 44

 原発事故当時であればこのように言うのも分からないではない。が、もうすでに8年余りが過ぎ、実際放射線による問題は起こっていない。つまり結果として、山本太郎氏が<とんでもない>という線量基準で問題がなかったということであり、山本太郎氏があまりにも騒ぎ立て過ぎていたということである。

 勿論、事故が起これば政治は安全めの基準値を設けるべきなのであろうが、何をもって安全というのかはこのように前例がない場合非常に難しく、少なくとも山本太郎氏のように騒ぎ立てるのはかえって国民を不安にさせるだけであり、本来なら騒ぎ過ぎたことを反省してもらわねばならないのだが、氏はその必要を全くと言って感じておられないようである。

《死にたくなるような社会は、もう止めにしたい。1年間に21000人もの方が自殺し、50万人以上もの方が自殺未遂している。自殺者3万人の時代と比べて減ったという話ではありません。目に見える戦争も紛争も起こっていないのに、今なおこれほど多くの人が追い詰められて、この世の中から消えたくなるということ自体が、社会が壊れている証拠だと思うのです。死にたくなるような世の中をやめたい。「生きててくれよ」という社会にしたい》(同、p. 45

 自殺の原因は、個人的な問題もいれば、家庭に問題がある場合もあるだろう。学校や職場での問題もあれば、日本の政治や経済に起因するものもあるだろう。これらを十把一絡げに<死にたくなるような社会>という言葉で括(くく)るのはやはり荒っぽすぎる。

《追い詰められている主な原因は経済問題です。20年以上続くデフレの中で、大企業の利益が優先され、人々が踏みつけられてきた。この国は、世界に逆行して新自由主義の先頭に立っているような状況です。「国のために人々がいるのではなく、人々のために国が存在している」という根本が忘れられてしまっています》(同)

 これも余りにも独断に過ぎる。誰のどういう研究を元にこのように言っているのか分からないが、個人の問題もあれば、人間関係の問題もある。にもかかわらず、すべてをお金の問題に帰するのはやはり違うと思う。

 また、今の日本が<新自由主義>であるとしてよく批判されるのであるが、これもよくある誤りである。【続】