《2019年7月15日。私はこの日を「日本が中国化した日」として記憶することになるかもしれない》(7月21日付西日本新聞社説)
とおどろおどろしいことを社説子は宣(のたま)う。
《この日、安倍晋三首相が参院選の応援のために札幌市を訪れた。その際、街頭演説していた安倍首相にヤジを飛ばした市民が、北海道警の警察官によって現場から引き離された。
周囲とのトラブルは発生しておらず、ヤジで首相の演説が中断することもなかった。にもかかわらず事実上の強制排除である。
この様子を地元のテレビ局が報道している。映像を見ると「安倍辞めろ」と大声を出している男性が警察官に取り囲まれて連れ出されている。また「増税反対」を叫んだ女性は、私服姿の警察官数人に体をつかまれて排除された。2人とも拡声器は使っていない。
排除された女性は「『何の根拠で』と質問すると『公共の安全のためだ』と言われた」と話している。
このほか「年金100年安心プランどうなった?」と書いたプラカードを掲げようとした女性も、警察官に取り囲まれ歩道の端に移動させられた。一方で、首相支持のプラカードは多数掲げられていたという》(同)
選挙演説を妨害する人たちを警察が排除したことだけをもって「日本が中国化した」と言うのはまさに針小棒大である。少なくとも、それが本当なら、このような社説を書けば逮捕されるであろうし、新聞社も発刊禁止となるに違いないが、そうはなっていないではないか。
要は、先日の香港の映像と今回の映像を同一視しただけの話である。点と点を結んで同じというのでは余りにも幼稚に過ぎる。
選挙演説の妨害者の排除を過剰権力の行使だとして非難することは有り得るだろう。が、これを「中国化」などと大仰(おおぎょう)に言うのは、貧弱な自分の思考を補うために大袈裟な言葉遣いをせざるを得ないからであろう。
《「街頭で最高権力者の演説に対して批判の声を上げた市民が、何ら暴力的なことはしていないのに、(一時的にしろ)警察の実質的な拘束下に置かれた」
これって…国際ニュースを見れば分かるが、共産党一党独裁の中国や、プーチン政権による強権支配のロシアで起きていることだ》(同)
確かに中国やロシアは強権的な国である。が、それがすべてではない。にもかかわらず、ただ日本の警察権力が強権的に振る舞ったということだけで<日本が中国化した>と言い切るのは言い過ぎだと言わざるを得ないのである。【続】