7日付東京新聞社説は「籠池夫妻初公判 法廷で真相を解明せよ」との見出しを掲げた。が、裁判とは事件の<真相を解明>するためのものではない。
《「刑事裁判とは、検察、すなわち行政権力を裁く場である」というのは近代裁判の大前提なのですが、これもまた日本人のよく理解できていないところです。
日本人というのは、裁判を「真実を明らかにする場」と考えています。裁判にかければどんな悪事も暴(あば)かれて、真実が満天下に暴露されると純情にも信じています。
しかし、それは近代裁判では通用しない。そもそも近代裁判では「真実の探求」なんて、本来の目的ではないのです。極論すれば、真実なんてどうだっていい。事件の真相など、知る必要はない!》(小室直樹『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル)、p. 24)
テレビ時代劇の影響もあり、一般の日本人が、裁判をお白州で真相が暴かれる場と勘違いするのも仕方ないのかもしれないが、マスコミの、しかも社説を任されるような人物が、<法廷で真相を解明せよ>などと言うようでは情けない。
《森友疑惑をめぐっては、国有地売却を担当した国の職員が「書き換えをさせられた」とメモを残して自殺した。国民は、疑惑に対する明快な答えを得ていない。起訴内容とずれるが、この裁判を通じて少しでも解明されるよう望む》(3月7日付東京新聞社説)
どうして森友問題が混迷を極めるのかと言えば、反安倍政権側のマスコミが籠池氏の話を真に受けている振りをして実は利用していることによるところが大きいのではないだろうか。
「小学校は首相と夫人の応援でつくりあげたのに値引き問題が発覚すると首相は保身に舵(かじ)を切った」(同)
という籠池氏の言葉を信じれば、土地購入値引き問題において安倍首相の責任は免れないということになるかもしれない。が、籠池氏が、自分の後ろには安倍首相がいるかのように振る舞い、係の職員を恫喝して値引きさせただけということなら、様相はがらりと変わってしまうだろう。
それにしても籠池氏は胡散(うさん)臭い。
《学校法人「森友学園」(大阪市)の籠池泰典氏に対する参院予算委員会の証人喚問で、運営する「塚本幼稚園」のホームページで、天皇陛下が同園を訪問されたという事実と異なることが掲載されていることについて、籠池氏は「私は知りませんでした。恐縮です」と釈明した》(産経ニュース 2017.3.23 12:57)
さて、勘違い社説は東京新聞だけにとどまらない。京都新聞社説も「籠池夫妻の裁判 疑惑の核心に迫れるか」などと筋違いな見出しを掲げる。
《起訴内容は「森友疑惑」のごく一部に触れているにすぎないが、そこから全体像をうかがい知ることはできる。森友疑惑の真相に迫る契機になることを期待したい》(3月8日付京都新聞社説)
<森友疑惑の真相>って何なのか。仮に<森友疑惑>が単なる籠池氏の嘘から出たものだとしたらお笑い種である。京都社説子は、
《安倍晋三首相に近いとされた籠池被告の事業のために行政がゆがめられたのではないか、という疑問は消えるどころか、濃厚になっている》(同)
というが、安倍首相と近い関係にあると言っているのは籠池氏だけである。
塚本幼稚園の運動会で、全体主義まがいに、
「大人の人たちは日本が他の国々に負けぬよう、尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史教科書で嘘を教えないよう、お願いいたします。安倍首相頑張れ!安倍首相頑張れ!安保法制、国会通過良かったです」
と園児が宣誓のごとく言うのに大方の日本人は違和感を覚えただろう。このようなことを言わせる籠池氏の話をどうして信じられるというのだろうか。【了】