《昨年5月、新潟市で下校途中だった小学2年女児が殺害された事件を受け、政府は、通学路の安全強化策「登下校防犯プラン」をまとめた。
学校や警察が連携して全国の小学校の通学路の緊急点検をしたり、防犯カメラの設置を政府が支援したりするなどの対策に取り組んできた。
近年、地域の防犯ボランティアの担い手が不足し、子供が1人で歩く「見守りの空白地帯」が生じている。そのため、防犯プランでは、子供を極力1人にせず、集団登下校の実施やスクールバスの活用なども対策に挙げていた。
スクールバスに乗り込もうと集団でいた子供たちが被害に遭った今回の事件は、これまでの対策が想定していなかったことだ》(5月29日付毎日新聞社説)
《登下校の安全対策の基本は、子供を一人にしないことだ。集団登下校やスクールバスの活用は子供を守る手段だった。ところが今回は、バスを待つ集団が襲われた。想定外の事態と言うほかない》(5月30日付読売新聞社説)
《昨年5月、新潟市で下校中の女子児童が連れ去られ、殺害されるという痛ましい事件が起きた。これを受けて政府は、改めて「登下校防犯プラン」を作成し、安全対策の強化を確認したばかりだった。
防犯プランは「通学路の合同点検」や「多様な担い手による見守りの活性化」「集団登下校やスクールバスなどを活用した安全確保」などを打ち出している。
児童生徒をできるだけ1人にしない-そのための集団登下校やスクールバス利用が裏目に出た形だ。
防犯と利便性から、通学時にスクールバスを利用する学校は県内でも増えている。スクールバスを待っていた子どもたちが襲われたことは想定外の事態であり、学校関係者の衝撃は大きい》(5月30日付沖縄タイムス)
個人が狙われたから集団化を促した。が、こんな対症療法的な方法が本当に<対策>になっていたかどうかは甚だ疑問である。そもそも集団化すれば標的にされやすく、むしろテロルを誘発してしまったとも考えられるのである。
<想定外>という言葉を簡単に使わないで欲しい。確かに、我々は神ではないのであるから、すべてを想定することは出来ない。残念ながら<想定外>の出来事が起こることは避けられない。が、集団行動すれば犯罪が防げるなどというのはあまりにも幼稚な「想定」である。【続】