保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

球磨川氾濫その後 ~もし川辺川ダムがあったなら~

《熊本豪雨で氾濫し、「暴れ川」の異名通り、過去にも浸水被害を生じさせてきた球磨川では、かつてその支流で建設が計画され、中止された川辺川ダムが改めて注目されている。

 国が1966年に発表した計画は、地元で賛否が分かれて難航。2008年に蒲島郁夫熊本県知事が反対を表明し、民主党政権下の09年に中止された。

 川辺川ダムがあれば、今回の被害を防止・軽減できたのか》(8月3日付朝日新聞社説)

 朝日新聞が川辺川ダムについて逃げることなく社説で取り上げたことをまずは評価したい。その上で中身を検討しよう。

《ダムが下流の水位を抑える効果をもつのは確かだが、問題は単純ではない。計画は65年に起きた水害をもとに「2日間の総雨量440ミリ」が前提だったが、7月上旬の豪雨では、24時間で400ミリ超の雨が球磨川流域の各地で観測されたからだ。

 雨量が想定を超えれば、ダムの決壊を防ぐために緊急放流を迫られる》(同)

 話は「百零」(ひゃくぜろ)ではない。ダムがあるのとないのとでは話がまったく異なってくる。成程、想定以上の降水量があれば、緊急放水が必要となるかもしれない。が、もし川辺川ダムがあれば、今回のような甚大な被害が出なかったであろうことは確かである。

《国は既存のダムについて発電や農業用の貯水分を事前に放流しておく対策を進めているが、その実効性を含め、ダムの功罪を冷静かつ多角的に議論する必要がある》(同)

 <ダムの功罪を冷静かつ多角的に議論>した(?)結果が川辺川ダム建設中止ということではなかったのか。それとも建設中止は、至って政治的なもので冷静な議論がなされなかったということなのか。

《蒲島知事はダムによらない治水を追求し続ける考えを示したが、この12年間の対応が問われよう。国と県は、川底の掘削や堤防かさ上げ、遊水地の設置などを組み合わせた10のダム代替案をまとめたが、その事業費は2800億~1兆2千億円、工期も45~200年に及ぶ。実現の可能性を含め流域の市町村と検討作業を急がねばならない》(同)

 「政治は結果」だ。であれば、やはりダム建設中止は誤りであったことを素直に認めるべきだ。<ダムによらない治水>などというのは「絵に描いた餅」に過ぎなかったということである。この12年間結果として何らめぼしい治水対策が打てなかったわけであるから、それを謝し知事は辞するべきである。

《近年の気象の過酷化を河川改修やダム建設で防ぐのは限界がある。避難計画の徹底とあわせ、住宅や拠点施設を安全な地域に移していく行政の役割が重要性を増している》(7月22日付日本経済新聞社説)

 私もこの考え方に賛成である。「君子危うきに近寄らず」である。

《国や自治体は住居の高台への移転、道路や橋、鉄道の安全なルートへの変更を後押しする支援策を拡充していくべきだ》(同)