一燈照隅(池内の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

民主と自由(2) ~我田引水の朝日社説~

《英国の歴史家、E・H・カーは、国際政治において理想主義は常に現実主義に否定されてきたと指摘した。ただ、現実の追認だけでは何も生まれないのも歴史の教訓だという》(1月3日付朝日新聞社説)

 このような言い方は誤解を招く。確かに、理想主義と現実主義は対立する。が、理想主義が現実主義に否定されてきたのと同時に、現実主義も理想主義に無視されてきたのである。

ユートピアとリアリティとの對立は、ある面では、「自由意志」と「決定論」との對立とみることができる。

ユートピアンは、かならず主意主義者である。ユートピアンは、深浅の差はあれ、根本的には現實を否定して、この現實の代りに彼のユートピアをうちたてることが、意志のはたらきによってできると信じている。

リアリストは、自分では變革(へんかく)することのできない豫(あらかじ)めきまっている發展過程の分析にしたがう。リアリストにとって、哲学は世界を變革するには、――ヘーゲルの「法の哲學」序文の有名な言葉をかりれば、――つねに「生れ來るやおそきにすぎる」のである。哲學をもってしては、舊(ふる)い秩序は「若返らされずして、ただ認識せられるのみである」

ユートピアンは、未来に目を向けて創造的な自由意志を駆使して思考をする。リアリストは、過去に根をおろして、因果関係によってものを考える。およそ健全な人間の行為、したがってまたおよそ健全な思想は、ユートピアとリアリティとの釣り合い、自由意志と決定論との平衡を示すものでなければならない。

根っからのリアリストは、事態の因果的生起を無條件にみとめて、現實が變革できるものであることをみとめようとはしない。徹底したユートピアンは、因果的生起を否定して、彼が變革しょうと努めている現實なり、その現實を變革するための手順なりが理解することのできるものであることをみとめようとしない》(E・H・カー『危機の二十年』(岩波現代叢書)井上茂訳、pp. 15-16)

 E・H・カーは理想主義と現実主義の平衡が健全な思想に必要であると言っているのであって、

《理想は絶えることなく語られなければならない。なぜならばそれは「人間の思考がはじまる本質的な基盤」だからだ、とカーは説く》(1月3日付朝日新聞社説)

などと理想主義に偏して応援しているわけではない。

政治学は、理論と實際とが相互依存の関係にあるという認識の上にきずかれなければならない。それは、ユートピアとリアリティとの結合を通じてのみ達せられることなのである》(E・H・カー、同、p. 18)【了】

P.S. 理想主義、現実主義のように「主義」という言葉を使うのも引っ掛かる。理想論、現実論とするか、訳者のようにユートピア、リアリティとする方が的確であろう。