1月3日の朝日新聞は「1989年と今の世界 民主と自由の命脈を保て」と題した社説を掲げている。「自由と民主」の語順では「自由民主党」を想起するからか、「民主と自由」という語順に私は少し違和感がある。否、もっと大きな違和感がこの日の社説にはある。
《1989年11月の「ベルリンの壁」の崩壊は、まさにそんな出来事だった。翌月、米ソ首脳が地中海のマルタ島で会談し、「冷戦の終結」が宣言された。
東西の分断から、一つの世界へ。その希望に満ちたうねりの原動力になったのは、民主主義と自由をはじめとする理念だった》
ベルリンの壁の崩壊、そしてソ連邦解体は、東側諸国の冷戦敗北を意味するのであって、東西に分断された世界が1つになったとして左翼陣営が歓迎するのは欺瞞(ぎまん)でありごまかしである。
また、冷静終結は<民主主義と自由をはじめとする理念>による<希望に満ちたうねり>などではなく、ソビエトが米国との軍拡競争に敗れたということでしかない。
《冷戦後、欧州は統合の流れを加速させた。欧州連合(EU)は民主主義と自由の原則のもとに拡大を続けた。主導的な役割を果たしたのは、メルケル氏のドイツだった。
ところが近年、EUの歩みは混迷している。背景にあるのは、移民問題を機に各国で高まった排外的なポピュリズムやナショナリズムだ。「民主主義の後退」との言葉も聞こえる》
ポピュリズムやナショナリズムは民主主義に反するものではない。むしろ優れて民主主義的なものである。「民主主義の後退」と言うところの「民主主義」とは、人種、言語、宗教などの違いを乗り越えた統合を目指す「コスモポリタニズム」(世界主義)と呼ぶべきものであろう。ソビエトはこのコスモポリタニズムの先鞭(せんべん)であり、EUは後継である。
昨今のEUの行き詰まりは、コスモポリタニズムの行き詰まりであり、それが排外主義や民族主義となって表れているのだと思われる。
《皮肉なのは、かつて中国の民主化を画策した米国が、自らの民主主義を傷つけ、世界の自由への関心も失っていることだ。
ロシアのクリミア併合をはじめ、法の支配にも揺らぎがみられ、各地で自国第一主義が広がっている。トルコやブラジル、フィリピンなど、民主的な選挙制度の国で、強権的な指導者が続出している。
冷戦を勝ち抜いたと思われた民主主義と自由の理念が今や、敗北しようとしているのか》
米国がトランプ大統領を誕生させたのも優れて民主主義的であるし、自国第一主義に傾いているのも、政策における自由の行使でしかない。【続】