保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

象徴天皇について(1) ~「象徴」という言葉の由来~

毎日新聞が16、17日に実施した全国世論調査で、象徴としての天皇の役割について「果たされている」とした回答は9割近くにのぼった。このうち「十分果たされている」との回答は20歳以上の全世代で6割を超え、40代と50代では7割超。支持政党別でみても、党中枢が天皇制に否定的な共産党支持層でも「十分果たされている」が6割を超えた。一方、皇室との「距離」について「感じる」「ある程度感じる」と答えたのは合計で50%を占めた》(毎日新聞 3/18(月) 21:34配信)

 一体<象徴としての天皇の役割>って何だ。それが何なのか分からないのに<果たされれている>も何もない。そもそも<象徴>とは何なのか。このことに答えることさえむつかしい。

 この日本国憲法にある<象徴>という言葉の来歴について、白洲次郎氏は以下のように書いている。

《連合国側は、日本側からはとうてい満足できる新憲法案が自主的に出てくるはずがないと予期していたのか、それとも始めからの計画であったか知るよしもないが、日本政府から提出された松本試案などは問題にならないとボツにされ、英文で書かれていた「新憲法」の案文なるものを手渡された。

(中略)

彼ら(=民政局)の強圧は、そのあくる日までに全部を和訳して日本政府案として発表せよというかたちで表われた。ソビエットの動きを察してもうそれ以上待てないというのが彼らのいいわけである。こんなものを訳して日本政府案として発表したら、国内的にどんな仕打ちにあうかわからんと考えたのかどうかは知らないが、大抵の政府高官はこの間題から姿を消してしまった。まあ正直にいうと私に関する限り止むを得ず外務省の翻訳官(そんな官職があったかどうかは今だに知らないが)二人を連れてGHQに乗り込み、GHQ内に一室を与えられてこの英文和訳との取組みが始まったのだ。

(中略)

 こうやって出来上ったものが「日本人が自主的につくった」新憲法の草案である。この翻訳遂行中のことはあまり記憶にないが、一つだけある。原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以(ゆえん)である。余談になるが、後日学識高き人々がそもそも象徴とは何ぞやと大論戦を展開しておられるたびごとに、私は苦笑を禁じ得なかったことを付け加えておく》(『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)、pp. 238-241)【続】