保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

麻生発言「産まなかった方が問題」について

《麻生副総理兼財務相が地元・福岡県内での国政報告会で、少子高齢化について「年を取ったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違い。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」と述べた》(2月6日付朝日新聞社説)

 案の定、この麻生氏の発言に噛み付く人達がいる。

《子どもを産むか産まないかは、個人の自由な選択によるもので、政治家が口をはさむべきではない。加えて、麻生氏の発言は、子どもを持てない人への配慮を欠き、少子化の責任を個人に転嫁しようとするものだ。看過できない》(同)

 <個人の自由な選択>と言い切ってしまうところが凄いところである。もしそうなら、社会には子育てを支援する義務はない、勝手に産んだのだから支援しなければならない謂われはない、ということにもなりかねない。

 最終的には産むか産まないかは個人の判断だとしても、産んでくれることを期待する社会があるのもまた事実であろう。そして大きくなって社会を支える大人になって欲しいからこそ社会は子育てを支援するのではないか。

 が、私が気になるのは、子供が増えなければ現在の社会保障制度が維持できないという理由から少子化を問題としている人が多いということである。もしそうなら、自然に減少傾向にある子供の数を人為的に増やそうとするよりも、少子化に見合うよう社会保障制度を改革する方が容易であり上策なのではないか。つまり、現在の社会保障制度維持のために子供の数を増やそうとするのは主客転倒した議論のようにも思われるのである。

 だとすれば、真の少子化対策は、今のように、いかに子供を産み育てやすい環境を作り出生数を増やそうとするよりも、子供の数が減った社会であっても、国力が衰退することなく、国民にとって暮らしやすい環境を整備することの方ではないのだろうか。

《全閣僚が出席して行われた4日の予算委で、立憲民主党会派の大串博志氏が「多様な生き方が認められないといけない。不妊治療をし、つらい思いをしている人もいる。極めて感度の低い、不適切な発言だ」と批判し、麻生氏に謝罪と撤回を求めた。

(中略)

 大串氏がこの発言について質問している最中に麻生氏が笑ったとして、「なにを笑っているんですか、大臣」と激高する一幕もあった》(朝日新聞デジタル2019年2月4日16時41分)

 要は、この批判が支持者に向けての政治的演技だと見透かされてしまっているのである。麻生氏が発言を撤回して終わりのような茶番を何度繰り返しても日本の政治は変わらない。

 少子高齢化の何が問題であり、いまある対策のどこに課題があるのかにまで言及しなければ、ただ麻生氏の言動に感情的に反応しているだけではただの徒労でしかない。