保守論客の独り言

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秋篠宮殿下の大嘗祭発言について(1) ~皇室は「敬して遠ざく」べき存在~

《皇太子さまの天皇即位後に行われる皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について、秋篠宮さまが誕生日を前にした記者会見で、憲法に定められた政教分離の観点から「国費で賄うことが適当かどうか」と述べられた。そのうえで、天皇家の私的生活費にあたる「内廷費」を使うべきだという考えを示し、波紋を広げている》(12月1日付毎日新聞社説)

 皇室は本来、「敬して遠ざく」べき存在であり、皇族の方々が意見や感想を述べられるのを私は歓迎しない。

樊遅知ヲ問フ、子ノタマハク、民ノ義ヲ務メ、鬼神ヲ敬シテコレヲ遠ザク、知ト謂フベシ。(論語:雍也第六)

(樊遅(はんち)が「知」についておたづねした。孔子樣がおつしやるやう。「人としての道をよくつとめ。神佛は尊敬するが、近づき狎(な)れて神佛をけがしてもてあそぶやうなことをしないのが、知といふべきぢや。」)(穂積重遠『新譯論語』(社會教育協會))

 加地信行氏は、<鬼神を敬して之を遠ざく>の部分を

鬼(祖先の霊)・神(人間の知識では計り知ることのできない神秘的な不思議なはたらき)は尊敬し、俗化しない。(『論語』(角川ソフィア文庫)、p. 255)

とし、桑原武夫氏は、

《(荻生)徂徠によれば「遠之」とは、遠ざけるではなく、「之れを遠しとする」、つまり神と人間との間には断絶があり、神は特別なも のであるから、ものいみ、供えもの、祭器などみな日常的でないのをよしとするのである》(『論語』(ちくま文庫)、p. 155)

と解説している。

 が、戦後、天皇の「人間宣言」以降、皇室は民衆に開かれた身近な存在となった。私はこれは明らかな誤りだと思っている。もし皇室が開かれてしまえば、皇族は一般の人々と何ら大差がないということが知れ渡ってしまうだろう。そうなれば皇室の権威は失墜する。

 皇室の権威を保つためには、皇室が「秘めたる存在」でなければならない。今の時代においてすべてを秘すことは難しいにしても、何某(なにがし)か秘された部分が存在しなければ、「権威」を見ることは出来なくなってしまうに違いない。

天皇と国民を現代的感覚で結びつけようということは小泉信三がやろうとして間違っちゃったことだと思うのですよ。小泉信三は結局天皇制を民主化しようとしてやり過ぎて週刊誌的天皇制にしちゃったわけですよ。

そして結局国民と天皇との関係を論理的につくらなかったと思うのです。というのは、ディグニティをなくすることによって国民とつなぐという考えが間違っているということを小泉さんは死ぬまで気がつかなかった。それでアメリカから変な女を呼んできて皇太子教育させたり、そういうふうな形でやってきたわけです。

ですからその考えはまだ宮内官僚に随分残っているから、当然天皇制というものがそういう形でうまく国民と結ばれるということについては、私は悲観的ですね》(三島由紀夫『文化防衛論』「第3部 学生とのティーチ・イン」:(新潮社)、p. 219)【続】