保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

勤労感謝の日について

勤労感謝の日祝日法に「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とあるが、分かりにくい》(11月23日付毎日新聞「余録」)

 11月23日という日に勤労を感謝する何か特別な意味合いがあるわけではないのだから当然である。

《戦前は天皇が神々に秋の新穀をささげ、共に食して感謝する新嘗祭(にいなめさい)の日だった。戦後、天皇祭祀(さいし)と切り離し国民の祝日とするため、このように改められた。縁起を秘し趣旨を生かそうと苦心した民主主義風の名称というわけだ》(同)

 ここには「何故」がない。何故11月23日を天皇祭祀と切り離されなければならなかったのか、そのことが問題であるのに余録子は黙過してしまっている。

 GHQ占領下の1948(昭和23)年7月20日に「国民の祝日に関する法律」なる法律が公布・即日施行された。これは終戦の年1945(昭和20)年12月15日にGHQが出した「神道指令」の延長線上にある。神道が日本人の精神的紐帯(ちゅうたい)にあると見たGHQが祝日名にまで踏み込んできたのである。

 神道ある限り日本人は再び米国に歯向かってくるやも知れぬ、だから神道を抑え込まねばならない、などという無知蒙昧な考えがそこにはあった。「米の収穫を祝い、自然の恵みに感謝をする」、それのどこが否定されなければならないのか。米国人の神道に対する無理解が大本(おおもと)にあるわけだが、今更ながら彼らの横暴さには呆(あき)れてしまう。

 が、1952年に日本は主権を回復したのであるから、もう一度祝日名を見直せばよかったのであるが、戦後教育の普及に伴い、日本人の天皇に対する無理解と相俟って、祝日名見直しの声は聞かれない。

《国を代表し天皇新嘗祭を行う形は飛鳥時代に始まったとされるが、15世紀の応仁の乱後、18世紀に再興されるまで途絶えていた。皇室の大祭に指定されたのは20世紀になってからである》(同)

 だから何なのか。天皇のことを快く思わない人達は、何かに付け皇室の問題点を論(あげつら)おうとする。が、収穫を祝い感謝する自然な気持ちは否定され得べくもない。それは新嘗祭が一時途絶していたこととは無関係である。

天皇制のあり方も世につれ移りゆく。変わるものは変わってこそ変わらないものが残る》(同)

 天皇の存在は、本来伝統に基づくものであり制度的なものではないから「天皇制」と呼ぶのは誤りである。が、明治以降は天皇について憲法で規定するなどという政治利用がなされたためにそのように呼ぶのも仕方のないことではある。

 天皇の存在は<世につれ移りゆく>ものであることを私は否定しない。が、来年執り行われる「退位」のような伝統への政治介入による変更は断じて許されるべきものではない。

 祝日の話に戻ろう。言うまでもなく、祝日は天皇のためだけにあるのではない。新嘗祭天皇だけの行事ではなく、国民みんなのお祝い事である、否、であった。

 自然の恵みへの感謝を忘れてしまった日本人は果たしてどうなってしまうのであろうか。