保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

核廃絶を巡って

≪今月初め、軍縮を協議する国連総会第1委員会で、核を巡る二つの決議案が採決された。

 一つは、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約の署名・批准を求める決議案。(中略)

 もう一つは、日本政府が主導した核兵器廃絶の決議案だ≫(1119日付朝日新聞社説)

 日本は前者に<米国、ロシアをはじめとする核保有国などとともに反対>(同)し、

≪条約を推進する国から、再び日本への落胆と批判が漏れた。広島と長崎の被爆者も条約締結を待望しており、「裏切られた」との声が改めて広がった≫(同)

という。

 核兵器を廃絶しようとは言えても、核兵器禁止には賛成したくても出来ないという微妙な立場に日本はいる。全世界が核兵器を廃絶するのであればそれに越したことはない。が、核廃絶は理想に過ぎず、現実には核兵器を軍事的のみならず政治的に利用しようとする国がむしろ増加している。北朝鮮しかり、イランしかりである。

 かくいう日本も中国、北朝鮮の核の脅威に晒(さら)され、これに対抗すべく米国の「核の傘」の下に身を潜めている。核には核という力の均衡理論、つまり「核抑止論」を人類は乗り越えらえていないのが現実なのである。

 否、本当のところは、米国の軍事戦略上、日本は核兵器禁止を言えないのだと思われる。軍事的に見れば、日本はいまだに米国の支配下にある。それは日米安全保障条約なる条約があることからも明らかであり、沖縄の基地問題は米国従属の象徴である。

 が、現実は、核廃絶は「理想」というよりもむしろ「危険思想」というべきものである。一度核兵器がこの世に生まれてしまった以上、その製造法を完全に封印することは出来ない。

 もし仮に世界から核が廃絶された時が訪れたとしても、抜け駆けして再び核を製造し保有することは可能である。そしてその抜け駆けした国や組織が核をちらつかせて世界の覇権を握るという暗黒の世界が訪れないとも限らない。

 性善説よろしくすべての国や民族が核なき世界を願っているなどと考えるのは初心(うぶ)に過ぎる。

≪日本政府は、被爆国としての原点に立ち返るべきだ。

 被爆者の声を受け止め、核兵器の非人道性を訴える。米ロ両国が核兵器を重視・強化する姿勢を見せているだけに、「核なき世界」への責任と役割の大きさを自覚しなければならない≫(同)

 いくら<被爆者の声を受け止め、核兵器の非人道性を訴え>続けたとしても、核保有国はどこ吹く風。日本が核保有国にその削減を迫ろうというのであれば、日本がもっと政治的発言力をつけるより他はない。

 米国の保護を唯々諾々と受け続けているような半独立国が何を言っても国際社会では通用しないのである。