保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

ナショナル・ルサンチマンが生んだ核廃絶の責務意識(1) ~台湾有事は自分事~

《世界はいま、核の恐怖の果てにある破局か、それとも、より安全な共生の未来か、どちらの道へ進むかの分岐にある。

 米国と中国の覇権争いを筆頭に、欧州・アジア・中東で国家間の対立が熱を帯び、核戦争の不安を高めている。

 一方で、だからこそ協調の価値を見いだし、国家の枠組みを超えて「核なき世界」をめざす潮流も勢いづいている》(8月6日付朝日新聞社説)

 言うまでもなく、世界は<より安全な共生の未来>を選択しなければ<核の恐怖の果てにある破局>に陥るなどといったおどろおどろしき「分岐点」にはいない。確かに核が実在する限り、核が使用されかねない危険とは隣り合わせにある。が、だからといって簡単に核は使用できるものではない。核の使用は核の報復を甘受しなければならないからである。核抑止論である。

 <国家の枠組みを超えて「核なき世界」をめざす潮流も勢いづいている>などというのは真っ赤な嘘である。イランは核開発を急ぎ、北朝鮮は政治交渉に核保有をちらつかせ、シナは日本が台湾進攻の邪魔をするなら核攻撃も辞さないと脅しを掛けている。実際、朝日社説子も

《米国とロシアに加え、中国も核を保有し、軍拡の流れを強めている》(同)

と言っている。

《76年前のきょう、広島に原爆が投下された惨禍を思うとき、選ぶべき道は明らかだ。二度と再び人類の過ちを繰り返させない。その誓いと行動の先頭に、日本は立たねばならない》(同)

 ここには「ナショナル・ルサンチマン(民族的怨恨)」が垣間見られる。<広島に原爆が投下された惨禍を思う>のなら、米国に一矢(いっし)報いんと思うのが自然な感情ではないか。が、米国には勝てない。だから、広島に原爆が落とされたのは自分たちが悪かったのだ、我々は平和を希求しなければならない、などと意識が反転してしまっているのである。

《日米は今年の首脳会談で、「台湾」をめぐる認識を共同声明に盛り込んだ。日本が中国と国交正常化して以来初めてのことだ。

 限定的とはいえ集団的自衛権を行使できるよう、日本政府は憲法の解釈を変えている。ひとたび台湾有事になれば、米国から関与を求められるだろう。

(中略)

 大国の国力の争いに、日本はどう距離を保ち、ルール主導の秩序を築くか。そんな主体的構想は描かぬまま、渦中に身を投じていく。それが残念ながら、いまの日本の姿ではないか》(同)

 日本の石油タンカーは台湾海峡を通行するのであるから、「台湾有事」は安全航行を確保するという意味でまったく「他人事」というわけではない。また、シナが台湾を制圧してしまったら、次は尖閣、さらに沖縄というように勢力範囲を拡大するであろうことも想像に難くない。

 シナが台湾に侵攻しないように米日が連携するということであって、台湾を巡ってシナと米日が衝突する事態を想定して危機を煽るのは、シナが台湾を制圧することを朝日が良しとする立場なのではないかと思われもするのである。【続】