保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「表現の不自由展」中止について(3) ~精神的殺害~

慰安婦を象徴する韓国人作家の「平和の少女像」や、昭和天皇をモチーフにした作品に対し、脅迫めいた内容を含む多数の抗議電話やメールがあった。中止は来場者や関係者の安全を考慮した措置と説明する。

 企画展に展示されているのは、全国の美術館などで過去に撤去や公開中止になった16組の作品だ。

 芸術監督をつとめるジャーナリストの津田大介さんは、「表現の自由」について自由に議論する場にしたかったと話した》(8月6日付毎日新聞社説)

 常識的な日本人は、昭和天皇御真影を焼き踏み付けることの是非についての議論などしたいと思わないだろう。やってはならないことであり、議論の余地がないからである。

 勿論、非常識な人間は、お構いなしに、何だかんだと屁理屈を並べ立てるのであろう。が、そんな自分勝手な話に耳を傾けてくれるような奇特な人など身内以外にはいないだろう。

《作品を鑑賞して共感したり、反感を抱いたりするのは当然だ。それこそがこの展示の意図でもあろう。

 しかし、2日朝には「ガソリン携行缶を持って行く」といったファクスが届いたという。京都アニメーションの放火殺人事件を思い起こさせるもので悪質だ。

 過熱する抗議の電話は、芸術祭の実行委員会だけでなく、愛知県庁や協賛企業にまで広がった。事務局の電話は鳴りやまなかったという。

 自分たちと意見を異にする言論や表現を、テロまがいの暴力で排除しようというのは許されない行為だ。こういった風潮が社会にはびこっていることに強い危機感を覚える》(同)

 自分たちの考えに合うものは、それがたとえ不敬なものであれ、不謹慎なものであれ、不道徳なものであれ許し認めるけれども、自分たちの考えに合わないものは一転断じて許さないというのではまったくの「二重基準」である。

 確かに脅迫のファクスを送りつけるなど言語道断ではある。が、火のない所に煙は立たぬのであって、日本を、そして日本国民を舐め腐ってあのような反逆的な代物を見せ付けられては堪らない。

《革新的な芸術は世間に対し、いつだって挑発的で見る人によっては不快なものかもしれない。そうでなければ新しさも衝撃も生まれない》(8月5日付東京新聞「筆洗」)

 何かもっともらしいことを言っているようであるが、さすがに昭和天皇御真影を焼き踏み付けるのは<革新的な芸術>とは言われないだろう。人を不快にし、国に泥を塗るかのようなものまでを<芸術>と呼ぶのは芸術が許さないに違いない。

《物議を醸す作品に対して見る者の賛否が分かれるのは自然なことである。気に入らぬ作品を批判するのも自由だが、卑劣な手段で展示そのものを妨害するやり方は一方的な口封じに他ならぬ。やすやすと表現の自由が傷つけられた。そういう時代が息苦しい》(同)

 公序良俗に反する代物を展示する自由が奪われたからといって<息苦しい>と言うのは最早精神を病んでるとしか思われない。

 御真影を焼き踏み付けるようなやり方は、議論を喚起するのではなく、有無を言わせぬ精神的「殺害」でしかない。【了】