保守論客の独り言

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岩井志麻子「韓国人は『手首を切るブス』」発言について

5月18日放送のテレビ番組『胸いっぱいサミット!』(関西テレビ)で、2月に韓国の文喜相(ムンヒサン)議長が天皇陛下(当時)に対し謝罪を要求した一件の議論で、韓国人の気質を問われた作家・岩井志麻子女史の発言が波紋を呼んだ。

「とにかく『手首切るブス』みたいなもんなんですよ。手首を切るブスという風に考えておけば、だいたい片付くんですよ」

「『来てくれなきゃ死んじゃうから、死んだらあんたのせいだから』って言って、中国とか北朝鮮は『死ねば』と言っちゃうけど、日本は『そんなこと言うなよ、お前のこと好きなんや(と言ってしまう)』」(日刊サイゾー2019620 00:00

 当然のごとくこれは「差別的発言」だとして非難の声が沸き起こっている。実際、関西テレビ

《発言を編集せずに放送した問題で、同社は23日朝の自己検証番組「カンテレ通信」で視聴者から寄せられた声を取り上げ、外部識者による批判を受けて改めて謝罪した》(毎日新聞6/23() 19:54配信)

 コメンテーターの影山貴彦・同志社女子大教授(メディアエンターテインメント論)は、

「怒りを通り越して、とても悲しい。収録番組で先ほどの発言をカットしなかった関西テレビに一番責任がある」

「作り手は常に視聴者がどう受け止めるかを考えて番組を作らなければならない。『差別的意図は一切ないものと考えて放送した』というのは作り手のエゴ」(同)

と痛烈に批判した。

 確かに、<『手首切るブス』みたいなもん>とは「どぎつい」表現ではある。が、これくらいどぎつい表現でなければ韓国人気質をうまく言い表せないのだとすれば、これは決して「表現の自由」を逸脱するものではないと思われる。

 勿論、これは韓国人を揶揄(やゆ)する文脈で述べられているのであるから、韓国人にとっては不愉快ではあるだろう。が、ただ不愉快かどうかだけを問題にすればテレビで誰も物が言えなくなってしまいかねない。

 問題とすべきは不愉快かどうかではなく「不当」かどうかであるべきだ。1つの問題は、こういった発言が「欠席裁判」のような形でなされたことにある。韓国人に反論の余地を与えず一方的にこのような発言が公共の電波で流されたことはやはり問題と言わざるを得ない。

 次なる問題は、影山氏がただ自分が高みに立って批判しているだけで、本来解説すべき何がどう問題なのかというところをすっ飛ばしてしまっていることである。「解説する必要がないほど明らかな誤り」と思っているのであろうが、それは陰山氏の思い込みに過ぎないのであって、今回の発言も単純に白黒峻別出来るようなものとは思われない。

 我々が必要とするのは、誰の目にも明らかな白黒はっきりした話ではなく、白黒の付かない灰色部分をどのように捉え、どのように考えるのかということの「機微」である。表層をなぞるのではなく、感情に流れず冷静に問題の深奥に切り込んでいくことこそ識者に求められるのであって、ただ怒ったり悲しんだりするのはテレビの前のお茶の間のことにしてほしい。

 余談であるが、今回の発言は天皇に謝罪を求めるなどという韓国の無礼がその基となっていることだけは確認しておくべきであろうと思われる。