保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

未だに東京裁判を擁護する毎日新聞(3)~マッカーサーですら批判的だった~

ダグラス・マッカーサー連合国最高司令官自身、東京裁判に批判的であった。

《私は戦争中、捕虜や被抑留者に残虐行為を加えたり、それを許したりした敵の現地司令官、その他軍関係者に対する刑罰は承認したことがある。しかし、戦いに敗れた国の政治的指導者に犯罪の責任を問うという考え方は、私にはきわめて不愉快であった。そのような行為は、裁判というものの基本的なルールを犯すことになる、というのが私の考えだった。

 私は当時、日本の政治指導者に戦争犯罪の責任を問うなら、真珠湾攻撃に対する告発にとどめるべきだと思い、またそう進言した。

 真珠湾攻撃は、国際法と国際慣習の要求する事前の宣戦布告を経ないで行われたからだ。

 その後、私は国際軍事裁判の実際の裁判手続きに関するあらゆる責任からはずされ、裁判は1946年(昭和21年)1月4日東京で開始された》(『マッカーサー大戦回顧録[下]』(中公文庫BIBLIO)、p.280)

 英国のハンキー卿も、次のように批判した。

彼ら(=国連裁判所)は、1948年12月10日に国連総会が承認した世界人権宣言、そして特に次の条項を無視出来ない。

第10条

すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。

第11条

1.    犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。

2.    何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。

 国連が、戦勝国の判事で排他的に構成された法廷を、第10条で主張されているような敗戦国の裁判にとって「独立した公平な法廷」だと見做すとは思われない。同様に、これを「欧州枢軸国の主要戦犯の公正迅速な裁判であり処罰である」と承認したニュルンベルグ裁判条例第1条も、人権宣言第11条第1項に宣言された原則とおよそ一貫性がない。そして、ニュルンベルグ裁判と東京裁判のために事後に犯罪を創造したことは、人権宣言第11条第2項と全く相容れない。

 このような状況下では、法の支配確立に対するニュルンベルグ裁判と東京裁判の価値は取るに足りないと思われる。むしろ大きく後退した》(POLITICS, TRAIALS AND ERROS:池内訳)

東京裁判罪刑法定主義や証拠採用の公平性の面で不完全だったのは間違いない。ただ、それも大戦直後の国際情勢にしばられた政治決着として大局的に判断すべきだろう》(11月11日付毎日新聞社説)

 <不完全>だったのではない。間違っていたのである。にもかかわらず、<大戦直後の国際情勢にしばられた政治決着として大局的に判断すべき>とは何事か。このような傲岸不遜な言い方は何様のつもりなのであろうか。まさに反日そのものではないか。

 この怒りを鎮めるべく、パール判事の言葉で締め括りたいと思う。

《時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう》(『共同研究 パール判決書』(東京裁判刊行会)、p.737)【了】