《自民党の石破茂元幹事長は4日配信のインターネットテレビ「ABEMA(アベマ)TV」の番組で、安定的な皇位継承の議論を巡って
「男系の女性天皇の可能性、女系の男性天皇の可能性、これを全部排除して議論するのはどうなのだろうか」
と述べ、母方にのみ天皇の血筋を引く「女系天皇」の誕生の可能性も含めて議論する必要性に重ねて言及した》(産経ニュース2024/8/5 11:46)
が、舌の根も乾かぬうちに真逆のことを口にした。
《自民党総裁選(27日投開票)に立候補した石破茂元幹事長は告示日の12日、皇位継承のあり方について、東京都内で記者団に
「我が国はずっと男系男性の天皇さまを戴(いただ)いてきた。この伝統は大切にしていかねばならない」
と述べた》(産経ニュース2024/9/12 13:35)
恐らく考えが変わったわけではないだろう。本音では、「女系天皇」を実現したいのだけれども、それを言ってしまっては、自民党総裁選にマイナスと思われるので、伝統は大切にしていかねばならないと心にもないことを言って歓心を買ったのだろうと推測される。
普通、伝統は大切にしていかねばならないと言えば、伝統に背(そむ)く「女系天皇」には反対ということを意味するに違いない。が、推測するに、石破氏は、伝統は大切にしつつも、(非常事態として)「女系天皇」を導入することは何ら矛盾ではないと考えているのではないか。恐らく、伝統は大切にしていかねばならないとは言ったが、「女系天皇」に反対すると言っていないという論法である。
この手の卑怯な論法を正すためには、新聞記者なり、ニュースキャスターなりがしっかりと真意を確かめるべく問い質すべきなのであるが、それはせず、ただ聞いたことだけを情報媒体に乗せるのが今のマスコミの基本姿勢である。そこには社会の木鐸(ぼくたく)としての矜持(きょうじ)は見られない。
マスコミ人は、いつから政治家の言葉をただ増幅するだけの「拡声器」に成り下がってしまってしまったのか。
情報が弄(もてあそ)ばれる社会では、デモクラシーは生きてはいけない。