保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

元日社説読み比べ(3) ~シナ目線の毎日社説~

《昨年暮れに来日した、フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は今の世界の状況を「20世紀初頭に近い」と形容した。民主政治の不安定化を受けた指摘だ。

 民主主義は、政策決定に時間がかかり、最終的に合意されたものもあいまいさが常に残る。それよりは、中国のように、基本的人権は抑圧されても、権威主義的な政治体制の方が市場経済との相性がよく効率性が高いとの考えも強まる》(毎日新聞

 さすが、シナの宣伝(propaganda)を請け負っている毎日新聞だけのことはある。成程、<民主主義>(democratism)よりも<権威主義>(authoritarianism)の方が、決断が早く、統率もとれ、したがって、<効率>がよい。が、<効率>が良ければそれで良いのか。その<効率>が民衆を抑圧することによってもたらされているのだとすれば肯定できるわけがないではないか。

《日本は民主政治のモデルを教科書のように目指すべき方向として追い求めてきた。その歴史は、曲折はあったものの、明治維新以降150年を超える。

 今ここで、大事にしてきた価値観を否定する必要はない。

 たとえ、市場経済との二人三脚が崩れたとしても、民主政治の旗を掲げることは重要だ。日本は大国ではないが、世界の中で重要なアクター(行為者)ではある。民主政治の旗を掲げ続けることによってこそ、米国に世界秩序への関与を働きかけることができる》(同)

 おかしなことを言うものだ。日本が明治維新以降150年超にわたって民主政治を求めてきたと言うのなら、毎日社説子は大枠では戦前を肯定しているということなのだろうか。一般に、戦後日本は戦前を否定する。にもかかわらず、明治維新以降を一括りにするのは「斬新」というよりも「けったい」(大阪弁?)というか「変」である。

 <大事にしてきた価値観>とは何だろう。フランス革命に始まる「自由・平等・博愛」という欧州の価値観なのだろうか。が、私は、新渡戸稲造が『武士道』の中でも言った、「慈愛」「誠実」「忍耐」「正義」「勇気」「名誉」「恥」「惻隠」(敗者・劣者・弱者への思いやり)といった日本的な価値の方が余程大事なのではないかと思う。

 <日本は大国ではない>も引っ掛かる。確かに、日本は<軍事大国>ではない。だから政治力も強くない。が、政治のみならず経済も含めれば日本は明らかに<大国>である。一体どこ目線でこのような言い方をしているのだろうか。

 <米国に世界秩序への関与を働きかける>などと言うもの分を弁(わきま)えない考え方である。他国をどうこう言う前に、日本自らが率先垂範、<世界秩序>構築に関わるべきである。

 戦前の悪夢が過(よぎ)るのかもしれないが、国際連盟において、「人種差別撤廃」を訴えたかつてのあの堂々とした雄姿を思い起こすべきではないか。【続】

元日社説読み比べ(2) ~大事なのは「中庸」~

プーチンは言った。

“I am not trying to insult anyone because we have been condemned for our alleged homophobia. But we have no problem with LGBT persons. God forbid, let them live as they wish,” he said. “But some things do appear excessive to us. They claim now that children can play five or six gender roles.” ― Financial Times, 27 June 2019

「同性愛嫌悪の疑いで非難されているからという理由で誰も侮辱しようとはしていない。LGBTの人達に全く異存はない。そんなこととんでもない、自分が望むように生きればいい」とプーチン氏は語った。「しかし我々の目に余るようなことも実際幾つかある。彼らは、今や子供達は性の役割を56つ演じられると言う」

“Let everyone be happy, we have no problem with that,” he added. “But this must not be allowed to overshadow the culture, traditions and traditional family values of millions of people making up the core population.”ibid

「みんなを幸せにしよう、そのことに問題はない」と彼は付け加えた。「しかしこのことが人口の中核を占める数百万の人々の文化や伝統や伝統的な家族の価値観に影を投げかけることが許されてはならない」

 プーチン発言にすぐさまトゥスクEU首脳会議常任議長が反論した。

「我々はリベラル・デモクラシーを守る。時代遅れなのは権威主義、個人崇拝、寡頭支配だ」(同、朝日新聞

 が、問題は、<自由主義>か<伝統>かの二者択一ではない。大事なのは、2つの相反する価値観の平衡である。

《徳とは…何らか中庸(メソテース)ともいうべきもの--まさしく「中」(メソン)を目指すものとして--にほかならない》(『二コマコス倫理学(上)』(岩波文庫高田三郎訳、p. 71

アリストテレスは言う。

《徳とは「ことわりによって、また知慮あるひとが規矩(きく)とするであろうところによって決定されるごとき、われわれへの関係における中庸」において成立するところの、「われわれの選択の基礎をなす(魂の)状態」(プロアイレティケー・ヘクシス)」にほかならない。

 中庸(メソテース)とは、だが、2つの悪徳の、すなわち過超に基づくそれと不足に基づくそれとの間における中庸の謂いである。そしてさらにこのことは、「情念や行為において1つの悪徳は然るべき程度に比して不足し他の悪徳はそれを過超しているのに対して、徳は中を発見しそれを選ぶ」ものなることに基づいている。徳(アレテー)は、それゆえ、その実体に即していえば、またその本質をいい表わす定義に即していえば「中庸」(メソテース)であるが、しかしその最善性とか「よさ」とかに即していうならば、それはかえって「頂極」(アクロテース)にほかならないのである》(同、pp. 71-72

 やはり<自由主義>一辺倒のEUは青臭すぎて危うい。【続】

元日社説読み比べ(1) ~プーチン「リベラルの理念は時代遅れになった」~

《ロシアのプーチン大統領は昨年6月、移民に厳しく対処するべきだとの立場から、こう述べた。「リベラルの理念は時代遅れになった。それは圧倒的な多数派の利益と対立している」》(朝日新聞

 この発言は、G20大阪サミット開幕直前の27日夜、プーチン大統領がイギリスのフィナンシャルタイムズ紙とのインタビューで出てきたものである。

“This liberal idea presupposes that nothing needs to be done. That migrants can kill, plunder and rape with impunity because their rights as migrants have to be protected.”

“Every crime must have its punishment. The liberal idea has become obsolete. It has come into conflict with the interests of the overwhelming majority of the population.” ― Financial Times, 27 June 2019

(「この自由主義の考えは、何もなされる必要はないということを前提とする。移民たちは、移民としての権利が守られねばならないという理由で、何のお咎めもなく殺人、略奪、レイプが出来る」

「あらゆる犯罪に罰がなければならない。自由主義の考えは時代遅れだ。圧倒的大多数の人々の利益と衝突している」)

 プーチンの言っていることはやや極端な嫌いはあるが、こういう問題意識を持つのも無理はない面もある。要は、移民の権利が守られ過ぎてやしないか、ということである。

 プーチンが実際どのような言葉を使ったのかは分からないが、英語の”liberal idea”を朝日社説のように<リベラルの理念>と訳せば誤解を生むだろう。日本語の<リベラル>という言葉には政治的色合いが濃すぎる。

 <リベラル>は<保守>の対義語である。が、これは日本の戦後空間における「独特」ものがある。そもそも戦後日本は<リベラル>な思想に覆われたものである。よって、「戦後保守」は保守といえども<リベラル>であり、これに対抗する形で<リベラル>と言えば、「<リベラル>に反するリベラル」などという言語矛盾に陥ってしまうのである。

 実際、現在の日本における<リベラル>派は、この矛盾をそのまま体(たい)に表している。つまり、今ある日本の<リベラル>は、政権に対する抵抗勢力でしかなく、思想としての軸がない。ゆえに、やっていることは結果として「極左」「反日」の様相を呈してしまっている。

 <リベラル>と訳すのと<自由主義>訳すのとでは随分印象が変わってくる。

《リベラルという理念そのものが、もはや時代遅れだ》(NHK 2019年6月28日 21時41分)

《リベラルな概念は時代遅れのものとなった》(ロイター通信 2019年6月28日 / 05:10)

自由主義の思想はもう時代遅れだ》(日本経済新聞 2019/6/28 13:34)

 《リベラルという語は多義的だが、ここでは自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢を指す》(同、朝日新聞

 大半の人達がこれらがさも素晴らしいものであるという錯覚に陥ってしまっているに違いない。が、<自由>が過剰となれば「放恣(ほうし)」となるし、<人権>が過ぎれば「要求主義」となる。同様に、<寛容>は「何でもあり」、<多様性>は「バラバラ」になりかねない。

 まさに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(論語)なのである。【続】