保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

元日社説読み比べ(1) ~プーチン「リベラルの理念は時代遅れになった」~

《ロシアのプーチン大統領は昨年6月、移民に厳しく対処するべきだとの立場から、こう述べた。「リベラルの理念は時代遅れになった。それは圧倒的な多数派の利益と対立している」》(朝日新聞

 この発言は、G20大阪サミット開幕直前の27日夜、プーチン大統領がイギリスのフィナンシャルタイムズ紙とのインタビューで出てきたものである。

“This liberal idea presupposes that nothing needs to be done. That migrants can kill, plunder and rape with impunity because their rights as migrants have to be protected.”

“Every crime must have its punishment. The liberal idea has become obsolete. It has come into conflict with the interests of the overwhelming majority of the population.” ― Financial Times, 27 June 2019

(「この自由主義の考えは、何もなされる必要はないということを前提とする。移民たちは、移民としての権利が守られねばならないという理由で、何のお咎めもなく殺人、略奪、レイプが出来る」

「あらゆる犯罪に罰がなければならない。自由主義の考えは時代遅れだ。圧倒的大多数の人々の利益と衝突している」)

 プーチンの言っていることはやや極端な嫌いはあるが、こういう問題意識を持つのも無理はない面もある。要は、移民の権利が守られ過ぎてやしないか、ということである。

 プーチンが実際どのような言葉を使ったのかは分からないが、英語の”liberal idea”を朝日社説のように<リベラルの理念>と訳せば誤解を生むだろう。日本語の<リベラル>という言葉には政治的色合いが濃すぎる。

 <リベラル>は<保守>の対義語である。が、これは日本の戦後空間における「独特」ものがある。そもそも戦後日本は<リベラル>な思想に覆われたものである。よって、「戦後保守」は保守といえども<リベラル>であり、これに対抗する形で<リベラル>と言えば、「<リベラル>に反するリベラル」などという言語矛盾に陥ってしまうのである。

 実際、現在の日本における<リベラル>派は、この矛盾をそのまま体(たい)に表している。つまり、今ある日本の<リベラル>は、政権に対する抵抗勢力でしかなく、思想としての軸がない。ゆえに、やっていることは結果として「極左」「反日」の様相を呈してしまっている。

 <リベラル>と訳すのと<自由主義>訳すのとでは随分印象が変わってくる。

《リベラルという理念そのものが、もはや時代遅れだ》(NHK 2019年6月28日 21時41分)

《リベラルな概念は時代遅れのものとなった》(ロイター通信 2019年6月28日 / 05:10)

自由主義の思想はもう時代遅れだ》(日本経済新聞 2019/6/28 13:34)

 《リベラルという語は多義的だが、ここでは自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢を指す》(同、朝日新聞

 大半の人達がこれらがさも素晴らしいものであるという錯覚に陥ってしまっているに違いない。が、<自由>が過剰となれば「放恣(ほうし)」となるし、<人権>が過ぎれば「要求主義」となる。同様に、<寛容>は「何でもあり」、<多様性>は「バラバラ」になりかねない。

 まさに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(論語)なのである。【続】