保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

令和元年終戦の日(2) ~安倍首相も自虐史観~

《損害を与えた主体を「わが国」と明確にして加害と反省の意を表明したのは2001(平成13)年の小泉純一郎首相が初めてだった。それ以降の首相は基本的に踏襲し、8月15日には加害と反省の意を表明してきた》(8月16日付東京新聞社説)

 小泉氏のような軽薄な首相を戴いたのが我々の悲劇であった。

《我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です》(戦後60年小泉談話:朝日新聞デジタル2015年8月14日19時14分)

 歴史解釈は多様である。特に現代史は、直接の体験者がいる中でどうしても主観を免れることが出来ない。また、客観的判断を下すに足る情報が不足し、様々な未確定情報が混在錯綜しているから、大東亜戦争を<侵略>だと国の最高指導者が決め付けて、国内外に発信することは軽率の誹(そし)りを免れない。

《安倍首相も第一次内閣の07年には加害と反省に言及したが、政権復帰後の13年からは触れていない。今年で7年連続となる。

 首相が加害と反省に言及しない背景には、アジア諸国に対して、いつまでも謝罪を続ける必要はないという考えがあるようだ。

 15年8月14日に閣議決定した戦後70年の「安倍首相談話」は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べている》(同、東京新聞社説)

 確かに安倍首相は<加害と反省>に言及してはいない。が、70年談話はいつまでも謝罪し続けることの不条理を問題にしていただけで、裏には大東亜戦争は<侵略>であるという認識はあったと思われる。要は、小泉首相(当時)も安倍首相も同じ穴の狢(むじな)だったということである。このお二人には大東亜戦争は<侵略>であったと国の指導者が決め付けることが日本をどれほど貶(おとし)めることになるのかが分からないのである。

《談話発表からおよそ1カ月後の2015年9月18日に開かれた安倍内閣閣議において、内閣として正式に、ある答弁書が決定されている…その答弁書は、戦後70年の安倍晋三首相談話に問し、「(過去の日本に)『侵略』と評される行為もあった」としたうえで、「(現在の日本政府としては)その事実を率直に反省し、これからも、法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持していく、ということこそが、今回の談話の最も重要なメッセージである」といい切っている。

つまり、この答弁書は、安倍談話の一番のキモにあたる部分になるのは、清洲事変に始まる昭和のあの戦争は日本による侵略戦争であり、それは国際法に違反する戦争犯罪であったことを認め、そのうえで戦後、そしてこれからも、憲法前文や9条が謳っているような不戦の誓いを堅持していくことを内外に伝えている点だと言っており、このことを一層明らかにするべく、内閣が正式な答弁書という形で再確認しているのである。

こうして、安倍談話は明確に東京裁判史観の上に立って村山談話を確定させているのである》(中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」:『歴史通』(ワック出版)2016年5月号、p. 102)【続】

令和元年終戦の日(1) ~戦争の教訓~

《過去に起きた戦争だが、そこから教訓を学び取り、次世代に引き継いでいかねば、再び同じ過ちを繰り返しかねない》(8月16日付東京新聞社説)

 これはその通りである。が、おそらく東京社説子と私の教訓はまったく異なったものであろう。

《「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされる終戦の日に、戦没者を悼むと同時に、過去の戦争を反省し、戦禍を二度と繰り返さない「不戦の誓い」を世界に発信しなければ、本当に平和を祈念したことにならないのではないか》(同)

 「不戦の誓い」って何だ。「不戦の誓い」を世界に発信するとは、他国が日本を攻めてきても日本は戦いませんという「イワンの馬鹿宣言」なのか。

《万が一にもソ連が攻めてきた時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂うたソ連軍が殺到して惨澹たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える》(森嶋通夫「新『新軍備計画論』」:『文藝春秋』1979(昭和54)年7月号、p. 112)

 これを福田恆存氏は次のように批判している。

《要するに、森嶋氏が言ひたい事は、もし敵が攻めて來たら、自衛隊、及び日本國民は無抵抗主義に徹し、無條件降伏するに限るといふ、その一事に盡きる。そして、それが最上の方法だといふ論據を氏は1つ1つ列擧してゐるが、志水氏が「正論」誌上で指摘してゐる樣に、それらはいづれも詭辨(きべん)であり、相互に矛盾してゐるばかりでなく、観念的な机上の空論に過ぎず、十に一つ、百に一つの可能性を、それしか無い必然の道として押し附けたり、逆に百に一つの可能性も無い事を期待して、自分に都合の良い結論を導き出したり、全く支離滅裂といふほかない》(「防衛論の進め方についての疑問」:『福田恆存全集第7巻』、p. 504)

 森嶋論文は関嘉彦論文「"有事"の対応策は当然」(1978年9月15日付サンケイ新聞「正論」)への反論として書かれたものだが、関・森嶋論争について詳しくは別の機会に譲る。

安倍晋三首相はきのう、追悼式の式辞で「我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました」「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません」と述べた。

 不戦の誓いを、令和の時代も引き継ぐことを述べてはいるが、首相の式辞から抜け落ちているものがある。それはアジア諸国の人々に対する加害と反省だ》(同、東京新聞社説)

 日本が戦ったのはアジアを植民地化し搾取していた英米仏蘭の帝国主義国である。アジアを植民地支配から解放し独立に導いたのは日本であり、加害だの反省だのと政治的に言い続けているのは、シナと朝鮮だけである。【続】

敗戦の日に蒸し返される自虐史観(3) ~軸足が日本にない人たち~

《戦時中の日本には、70万人と推定される朝鮮半島出身の徴用工のほかに、強制連行された約3万9000人の中国人労働者がいた。

 過酷な労働を強いた日本企業に対して、中国人被害者が起こした裁判のうち、2000年に花岡事件の鹿島、09年に西松建設、16年に三菱マテリアルとの和解がそれぞれ成立している。韓国とは対照的だ。

 中国は日中共同声明で戦争賠償の請求を放棄し、韓国は請求権協定で3億ドルの無償資金を受けているという事情の違いはある。中国は連合国の一員で、韓国と日本は交戦状態になかったとの区別も可能だろう》(8月15日付毎日新聞社説)

 スイス・ジュネーブの国連欧州本部で先月、国連人権理事会のシンポジウムが開かれ、落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員(52)は、朝鮮半島出身労働者が、長崎市端島(はしま)炭坑(通称・軍艦島)で「差別的扱いを受けた」とする韓国側の主張について、次のように反論した。

朝鮮人は奴隷のように使われたとする主張はまったくのウソだ」

「ほとんどの朝鮮人労働者たちは自らの意思で日本に働きに行った。賃金面での民族差別もなかった」(夕刊フジ8/8(木) 16:56配信)

 元徴用工問題にせよ、従軍慰安婦問題にせよ、証拠を提示することもなく、ただ勝手な言い分で強請(ゆす)っているだけである。にもかかわらず、どうして日本の大新聞が朝鮮やシナの立場で物を言っているのか私には分からない。

《花岡和解では政治家ルートが機能した。相談を受けた土井たか子衆院議長が後藤田正晴元副総理に話をつなぎ、後藤田氏が鹿島の石川六郎元会長を説得したという。

 また朝鮮半島や台湾出身の元軍人・軍属に弔慰金を支給する特別立法(00年5月)は、野中広務官房長官の熱意から生み出された》(同)

 ここに出てきた政治家の名前を見れば、差し詰めどのような話なのか察しが付くだろう。

 栗山尚一(たかかず)元外務次官は「外交フォーラム」誌で次のように訴えたという。

 「加害者と被害者の間の和解には、世代を越えた双方の勇気と努力を必要とする。加害者にとっては、過去と正面から向き合う勇気と反省を忘れない努力、被害者にとっては過去の歴史と現在を区別する勇気であり、相手を許して受け入れる努力である」(同)

 例えば、朝鮮併合において、日本が加害者、朝鮮が被害者とは一概には言えない。むしろ搾取ということでいえば、日本の方が搾取されたとも考えられるのである。

《日本の朝鮮統治は「植民地支配」などといわれるが、朝鮮は僅かも「植民地」として扱われていない。「植民地」であれば、日本は朝鮮統治から財政的・経済的メリットがあったはずであるが、そのようなものは皆無であった。

逆に、日本は朝鮮統治のために巨額で過度な財政的負担を強いられた。7千万人の日本人は、そのぶん増税を強いられた。マルクスの用語に従えば、日本人は朝鮮人に「搾取」された》(中川八洋『歴史を偽造する韓国』(徳間書店)、p. 12)

 平和条約が結ばれれば、過去の問題は蒸し返さないというのが国際常識であり礼儀である。<世代を越えた双方の勇気と努力>が必要などというのは外交慣例としては有り得ず、このようなことを言うのは外交官失格である。【了】