保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

敗戦の日に蒸し返される自虐史観(2) ~歴史リテラシー~

《日本を占領した当初、米国などが考えた対日賠償政策は、被害国の感情を反映して日本の経済力を最低レベルに抑える懲罰的な内容だった。

 ところが、朝鮮戦争の発生と占領経費の増大が、米国の政策転換をもたらす。冷戦によって戦略的な価値が増した日本を経済的に自立させることが米国の利益に変わった。

 こうして1951年9月調印のサンフランシスコ平和条約は、日本に十分な支払い能力がないことを認めて、役務提供という日本に有利な賠償方式が採用された。

 日本は77年までかけてアジア諸国への賠償総額15億ドルを完済した。少なくない金額だが、相手国が購入する日本製品の代金を政府が円で支払う形だったため、日本企業のアジア進出の後押しにもなった。

 若い政治家には「日本は過酷な条件で十分に償った」と思い込んでいる人がいる。日本に寛大だった講和内容の理解不足だ。政治家は歴史へのリテラシーを高める必要がある》(8月15日付毎日新聞社説)

 若い政治家が、客観的な史実の理解が不十分というのはそうなのかもしれないが、これは<歴史リテラシー>というような大袈裟な話ではないだろう。<歴史リテラシー>とは歴史をどのように解釈するのか、その解釈力ということであろうが、<歴史リテラシー>を高めるなどというのは言うほど簡単ではない。

 毎日社説子は、日本がアジア諸国へ賠償金を支払ったことを至極当然のように語っているが、日本はアジアを植民地化していた米英仏蘭の帝国主義国と戦ったのであるから、アジアに賠償金を支払うのはおかしい。勿論、アジアに迷惑を掛けた部分もあるだろうが、大きくはアジアを帝国主義国から解放し独立に導いたのであって、基本的に日本を非難している国はシナと朝鮮以外にはない。

《韓国との国交正常化も、サンフランシスコ条約に沿ってなされた。条約が、かつて日本の統治下にあって戦後に分離された地域に対する特別な取り決めを求めていたからだ。

 植民地支配の性質をめぐって交渉は難航し、65年の日韓基本条約調印までに14年を費やした。実質的には米国の影響を受けた3カ国条約ではあったが、大局的な見地から双方が妥協した歴史的意義は大きい》(同)

 これもおかしな話で、日本は朝鮮を併合したのであって、欧米諸国のように植民地化し搾取したのではない。インフラを整備し、教育を普及し、農業生産を増し、結果人口は倍増した。だから日本は感謝こそされても賠償する必要などまったくなかった。

 が、併合解消後、朝鮮戦争が勃発し、せっかく整備されたインフラが破壊されてしまった。その穴埋めを米国に言われるままに日本がさせられた、それが日韓基本条約というものであった、というのが私の認識である。【続】

敗戦の日に蒸し返される自虐史観(1) ~戦争を煽った朝日~

8月15日の社説は、各紙とも大東亜・太平洋戦争について書いている。が、ネタ切れ感満載で、読むに値するものはほとんどなかった。自虐史観に呪縛され、陸続と明らかになる史実情報を受け入れる知力に欠けているせいであろう。

 フーバー元米大統領は言っている。

《私はマッカーサーに、1945年5月にトルーマンに宛てた覚書の内容を話した。我が国は、この戦いの重要な目的を達成して日本との講和が可能である、と伝えたのである。マッカーサーもこの考えに同意した。(早い時期に講和していれば、その後の)被害はなかったし、原爆投下も不要だったし、ロシアが満州に侵入することもなかった。私は、日本との戦いは、狂人が望んだものだというと、彼はそれに同意した。

また1941年7月の日本への経済制裁は、ただ日本を挑発するだけであり、日本は戦うしかなかった。あの経済制裁は、現実の殺戮や破壊ではなかったが、それ以外の点では戦争行為であった。いかなる国であっても、誇りがあれば、あのような挑発に長いこと耐えられるものではない》(ハーバート・フーバー『裏切られた自由(上)』(草思社)渡辺惣樹訳、p. 475

 ルーズベルトが日本を戦争へと追い込んだ、ということである。日本の軍部の暴走などという話ではないのである。

《74年前のきょう、日本の降伏で戦争が終わった。

 あの昭和の時代からどれほど時を経ても、惨禍を記憶にとどめ、不戦と平和の誓いを語り継ぐ大切さはかわらない。

 満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。

 そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。

 大東亜共栄圏を掲げた日本は各地の要所を占領した。現地の人を巻き込み、犠牲を強いた。はるか遠くの島や山あいで、それぞれに刻まれた戦争の記憶と戦後がある。その傷痕に目を向けることは、歴史の教訓を学ぶうえで欠かせない》(815日付朝日新聞社説)

 <無謀な戦争>へと国民を駆り立てたのは、コミンテルンのスパイ尾崎秀実がいた朝日新聞ではなかったのか。盧溝橋事件後むしろ抑制的だった日本を「暴支膺懲」(暴虐な支那(中国)を懲らしめよ)と煽ったのは朝日をはじめとする大新聞であった。

 尾崎秀実の手記には次のように書かれている。

《吾々のグループの目的任務は…狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にして其の支柱たるソ連日本帝国主義より防衛する為日本の国内情勢殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し且つ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるに在るのであります》(三田村武夫大東亜戦争スターリンの謀略』(自由社)、p. 214

 当時の朝日新聞がどのような新聞だったかが窺(うかが)い知れる。【続】

民主主義を立て直す方法:「くじ引き」について(2) ~民主主義は絶対ではない~

《とりわけフェイスブックツイッターといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が普及してから、政治家は自分の言動に有権者がどう反応しているか、即座に把握できるようになった。消費者に衝動買いしてもらうように、マーケティング有権者に働きかけること、政治という公共の空間が、奔放な自由市場のようになる》(評:坂井豊貴・慶応大教授)

 SNSが普及することで政治家と有権者の距離が縮まり、それが「ポピュリズム」を生む温床となる。これを打開する一策として、レイブルック『選挙制を疑う』は<くじ引き>を提唱する。

《くじで選ばれた一般人に議員は務まるのか。著者は、そのようなことができている例として、くじで選ばれた陪審員が任務にあたる裁判をあげる。そして熟議民主主義の研究を引き合いに出し、適切な熟議の場を設けると、人々の意欲や能力は引き出されるのだと論じる。著者はさらに古代アテナイの民主制を概観する。そこでは、くじで選ばれた人々が政府を運営していた》(同)

 仮に陪審員裁判に合格点を与えることが出来たとしても、政治も同じようにいくとは思われない。町内会のような身近で小さな範囲ならいざ知らず、市政、県政、国政といった非日常的な大きな範囲の政治判断がずぶの素人に出来るわけがない。古代アテナイがくじ選議員で成り立っていたのは、範囲が限られており、そこで扱われる政治も単純なものであったからに過ぎない。

《選挙だけではなく、くじも活用せよ、というのが政策としての提言である。たとえば国会の二院のうち、片方の議員は選挙で、もう片方の議員はくじで選ぶというようにだ。スペインやスイスでは、そうした制度の導入を求める運動があるという。大切なのは民主主義であって、選挙原理主義ではないのだ。今日の状況で選挙は「民主主義をむしろ阻害している」》(同)

 大切なのは「現実政治」であって<民主主義>ではない。<民主主義>を信奉する者たちが満足するために政治を歪めては意味がない。

 政治がうまく機能していないのであれば、選挙制度を弄(いじ)ることも必要であろう。政治家が変化を求めず、政治が機能不全に陥っている最大の要因は「小選挙区比例代表制」にあると私は睨(にら)んでいる。

 選挙のせいで民主主義がうまく機能していないというのは当たらずといえども遠からずだとは思うが、そもそも民主主義自体の問題がここに来て露呈してきているというのが本当のところだろう。

 民主主義は絶対ではないし、民主主義信奉者が思い描く<民主主義>を完成させることが我々の最終目標でもない。民主主義は他の制度よりましだからこれを採用しているに過ぎないということをしっかり理解しておくべきであろうと思われる。【了】