保守論客の独り言

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敗戦の日に蒸し返される自虐史観(1) ~戦争を煽った朝日~

8月15日の社説は、各紙とも大東亜・太平洋戦争について書いている。が、ネタ切れ感満載で、読むに値するものはほとんどなかった。自虐史観に呪縛され、陸続と明らかになる史実情報を受け入れる知力に欠けているせいであろう。

 フーバー元米大統領は言っている。

《私はマッカーサーに、1945年5月にトルーマンに宛てた覚書の内容を話した。我が国は、この戦いの重要な目的を達成して日本との講和が可能である、と伝えたのである。マッカーサーもこの考えに同意した。(早い時期に講和していれば、その後の)被害はなかったし、原爆投下も不要だったし、ロシアが満州に侵入することもなかった。私は、日本との戦いは、狂人が望んだものだというと、彼はそれに同意した。

また1941年7月の日本への経済制裁は、ただ日本を挑発するだけであり、日本は戦うしかなかった。あの経済制裁は、現実の殺戮や破壊ではなかったが、それ以外の点では戦争行為であった。いかなる国であっても、誇りがあれば、あのような挑発に長いこと耐えられるものではない》(ハーバート・フーバー『裏切られた自由(上)』(草思社)渡辺惣樹訳、p. 475

 ルーズベルトが日本を戦争へと追い込んだ、ということである。日本の軍部の暴走などという話ではないのである。

《74年前のきょう、日本の降伏で戦争が終わった。

 あの昭和の時代からどれほど時を経ても、惨禍を記憶にとどめ、不戦と平和の誓いを語り継ぐ大切さはかわらない。

 満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。

 そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。

 大東亜共栄圏を掲げた日本は各地の要所を占領した。現地の人を巻き込み、犠牲を強いた。はるか遠くの島や山あいで、それぞれに刻まれた戦争の記憶と戦後がある。その傷痕に目を向けることは、歴史の教訓を学ぶうえで欠かせない》(815日付朝日新聞社説)

 <無謀な戦争>へと国民を駆り立てたのは、コミンテルンのスパイ尾崎秀実がいた朝日新聞ではなかったのか。盧溝橋事件後むしろ抑制的だった日本を「暴支膺懲」(暴虐な支那(中国)を懲らしめよ)と煽ったのは朝日をはじめとする大新聞であった。

 尾崎秀実の手記には次のように書かれている。

《吾々のグループの目的任務は…狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にして其の支柱たるソ連日本帝国主義より防衛する為日本の国内情勢殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し且つ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるに在るのであります》(三田村武夫大東亜戦争スターリンの謀略』(自由社)、p. 214

 当時の朝日新聞がどのような新聞だったかが窺(うかが)い知れる。【続】