保守論客の独り言

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今回の自民党総裁選は要らないという橋下徹氏の浅慮(1)

安倍晋三首相と石破茂・元自民党幹事長の一騎打ちとなった自民党総裁選。(略)現在の論戦の低調さを嘆く声が、メディアやインテリの中では強いと感じるね。彼らは、安倍さんと石破さんで、日本の進むべき方向性について徹底論戦せよ! と発破をかけている。

でもね、そもそも今回のように国政選挙で現総裁が否定されていない中での自民党総裁選は民主主義を破壊しかねないものであって、今回を最後に止めるべきだ》(橋下徹「なぜ今回の総裁選はいらないか」:PRESIDENT Online 2018/09/12 11:15

 橋下氏の言う<民主主義>とは何だろう。国政選挙で国民の信任を得た総理たる自民党の総裁が党内の選挙で否定されるような事態になれば本と末が転倒してしまうと言いたいのだろうか。

 が、国政選挙はあくまでも国会議員を選ぶ選挙である。勿論、その国会議員が所属する政党の勝ち負けが問題であり、与党の代表が首相となるという意味では、どの党の代表が総理にふさわしいのかも国民の投票判断に含まれているとは思われる。が、それでもやはり国政選挙は国民が内閣総理大臣を選ぶ「首相公選制」とは似て非なるものである。

 小選挙区制は立候補者自身よりも政党を選ぶ側面が強いとされる。総選挙で信任されるのは「政党」である。勿論、政党の方向を定めるのは党の代表たる総裁であるから、間接的には現総裁が信任されたとも言えるだろう。が、それは安倍自民党か枝野立憲民主党かの選択であって、安倍自民党か石破自民党かの選択ではない。総選挙で自民党が信任されたとしても、それが安倍自民か石破自民かを問うていない。それを問うのが総裁選なのである。

 誤解のないように付け足せば、ここで問われているのは安倍自民か石破自民かということである。安倍か石破かではない。つまり、総選挙によって信任された自民党の枠内において相応しい総裁を選ぶのが総裁選挙だということである。もし、総選挙によって信任された枠を超えてしまうようなことがあれば、それは橋下氏が懸念するような民主主義の否定になりかねず、その場合は再度国民の信任を得直す必要もあるだろう。

自民党のリーダーを決めるのは自民党員なんだよね。だから自民党員でない僕は、当然、今回の総裁選において一票を持っていない。多くのメディアやインテリたちは、安倍さんと石破さんは徹底論戦せよ! と言うけど、じゃあ一票を持っていない国民にとって、それはどのような意味を持つのか?

結論として、何の意味もないし、むしろ有害でさえある》(同)

 これは現代の「民主主義」が分かっていない妄言である。古代ギリシャアテナイのような小さな町であれば自らがあらゆることに関与することは可能である。が、現代のように規模も大きく複雑になった国においては、自らがすべてに関与することなど不可能である。したがって、自分が関与しないところにおいても民主主義的手続きは重要であり、現段階において自民党の総裁が首相となるのであるから、たとえ直接的に投票することは出来なくとも間接的に意見を述べることは意味のあることであり必要なことであろうと思われる。(続)