保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

日韓関係について(4) ~人の道に反する「嘘宣伝」~

《安倍首相は、朝鮮半島に残る歴史的な感情のしこりに無神経な態度が相変わらずだ。

 先の臨時国会の所信表明で、100年前のパリ講和会議で日本が人種差別撤廃を提案したことを誇らしげに語った。だが、当時の日本が朝鮮の植民地支配で差別を批判されていたことへの言及はなかった》(12月25日付朝日新聞社説)

 誰がどのような批判をしていたのかを具体的に言ってもらわねば議論にならない。手元に次のようなものがあるにはある。

朝鮮総督府は、1910年の併合以来、日本の優秀な公職員を招聘(しょうへい)する方法として、「出向手当」という制度を設け、その平均は、俸給額の60%から120%にのぼった。

 たとえば、総督府は、公務員・教師などの公職には、日本人・朝鮮人の区別なく採用したが、同じ判任官・教師として採用されても、次のような違いがあった。

  俸給

出向手当

在勤加俸

日本人 40円 24円(60%) 64円
朝鮮人 40円   40円

公立学校の校長は、高等官または勅任官で、次のとおりだった。

日本人 60円 36円(60%) 96円
朝鮮人 60円   60円

 朝鮮人の校長(勅任官)の俸給が、20~30年勤務しても総額60円であったのに、師範学校を卒業したばかりの日本人教師の初任給が、男女の別なく64円であった(そのうえ、出向手当・在勤加俸は課税対象からもはずされていた)ことは、著しい不公平感を生んだ。学校長は、毎年1、2回は全校職員を招待してパーティを開くのが通例であったのにもかかわらず、給料の総額が、師範学校出たての新任女教師の初任給をも下回っていたのでは、校長の面子は丸潰れだった》(崔基鎬(チェ・ケイホ)『歴史再検証 日韓併合韓民族を救った「日帝36年」の真実』(祥伝社黄金文庫)、pp. 158-159)

 これは<差別>ではない。日本から朝鮮に公務員・教師を招き入れるために「特別手当」が必要だったということに過ぎない。

《戦後70年を機に出した「安倍談話」でも、朝鮮支配には触れなかった。韓国市民が「ノー安倍」と呼びかけるのは、そんな歴史観が影響している》(同、朝日社説)

 私は首相が歴史観を固定化するような<談話>を発すること自体が間違いだと思っている。にもかかわらず、村山談話、小泉談話、菅談話、安倍談話と首相になれば「謝罪談話」を出すことが恒例化してしまっている。

 2度目の首相就任前、村山談話河野談話を上書きすると言っていた安倍晋三氏は、何があったか知らないが、歴代内閣の談話を踏襲してしまった。が、その安倍首相でさえ、日韓併合を詫びるなどということは出来なかったということに過ぎない。

 勿論、日韓併合にも光と影がある。その光と影も人によって捉え方は千差万別であろう。その「影」の部分だけを論(あげつら)って、否、すべてが「影」であったかのような「嘘宣伝」をばら撒いて、先人の労苦を貶(おとし)めることは断じて許されるべきことではない。

 ラーツ・アンダーソン駐日アメリ特命全権大使(1912-1913)の妻イザベルは当時の朝鮮の状況を次のように書いている。

The Japanese Governor-General, Count Terauchi, is a very strong and able man, and under his administration many improvements have been made in Korea. This has not always been done without friction between the natives and their conquerors, it must be confessed, but the results are certainly astonishing. The government has been reorganized, courts have been established, the laws have been revised, trade conditions have been improved and commerce has increased. Agriculture has been encouraged by the opening of experiment stations, railroads have been constructed from the interior to the sea-coast, and harbours have been dredged and lighthouses erected. Japanese expenditures in Korea have amounted to twelve million dollars yearly. ―The Spell of Japan, by Isabel Anderson

(日本の総督・寺内伯爵はとても優秀有能な方で、彼の統治の下、朝鮮では多くのことが改善されてきました。これが必ずしも現地人と征服者の軋轢(あつれき)なく行われているわけでないことは認めなければなりませんが、結果は確かに驚くべきものです。政府は再編成され、裁判所が設立され、法律は改正され、景気は改善され、貿易は増加しました。試験場開設によって農業が奨励され、鉄道が内陸部から海岸まで敷設され、港が浚渫(しゅんせつ)され、灯台が建立されました。韓国における日本の支出は年間1200万ドルに達しています)【了】

日韓関係について(3) ~陸奥宗光の目~

陸奥宗光は『蹇蹇録(けんけんろく)』で朝鮮統治について次のように書いている。原文には句読点がなく読みづらいので、口語試訳を添えておく。

《抑々(そもそも)我國の獨力を以て朝鮮内政の改革を擔任すべしとの議の世間に表白せらるゝや我國の朝野の議論實に翕然(きゅうぜん)一致し其言う所を聽くに槪(おおむ)ね朝鮮は我鄰邦なり我國は多少の艱難(かんなん)に際會するも鄰邦の友誼に對し之を扶助するは義侠國たる帝國として之を避くべからずと云わざるなく其後兩國已に交戰に及びし時に及んでは我國は强を抑え弱を扶け仁義の師を起こすものなりと云い殆ど成敗の數を度外視し此一種の外交問題を以て宛(あたか)も政治的必要よりも寧(むし)ろ道義的必要より出でたるものゝ如き見解を下したり》(陸奥宗光『蹇蹇録』(岩波文庫)第5章 朝鮮の改革と清韓宗との問題に関する概説:朝鮮内政改革問題に対し我国朝野の議論、p. 45

【口語試訳】そもそも我国が独力で朝鮮の内政改革を担当すべきだとの意見が世間に表れると、我国の世論は一つとなり、その話を聞けば、概ね「朝鮮は隣国である。我国は、多少困難があっても朝鮮との友好を助ける義侠国の国家としてこれを避けるべきではない」と言う。その後、両国がすでに交戦に至った時は、「我国は、強きを抑え弱きを扶(たす)ける仁義の戦(いくさ)を起すものだ」と言って、ほとんど成功と失敗の計算を度外視し、この一種の外交問題をあたかも政治的必要よりも、むしろ道義的必要から来るかのような判断を下したのである。

《尤(もっと)も斯(かか)る議論を爲す人々の中にも、其胸祕を推究すれば陰に朝鮮の改革を名として漸(やうや)く我が版圖(はんと)の擴張を企畫し然らざるも朝鮮を以て全く我保護國とし常に我權力の下に屈服せしめんと企畫したるものもあるべく》(同)

【口語試訳】もっともこういった議論をする人々の中にも、その胸の奥を探れば、ひそかに朝鮮の改革を名目に徐々に我国の国土拡張を企図したり、あるいは朝鮮を完全に我国の保護国としていつも我国の権力下に屈服させようと企図したものもいる。

《又實に朝鮮をして適應の改革を行わしめ褊小(へんしょう)ながらも一個の獨立國たるの體面を具えしめ他日我國が淸國若(もしく)は露國と亊あるの時に際し中間の保障たらしめんと思料したるものもあるべく》(同)

【口語試訳】また朝鮮に適当な改革を行わせ、小さいながらも一個の独立国としての体面を具えさせ、他日、我国が清国もしくはロシアと事を構える時には、中間で保障することを考えたものもあった。

《又或は大早計にも此際直に我國より列國會議を招集し朝鮮を以て歐州大陸の白耳義(ベルギー)端西(スイス)に於けるが如き列國保障の中立國となすべしと擬議したるものもありと聞けども是れ孰(いず)れも大槪個々人々の對話私語に止り其公然世間に表白する所は社會凡俗の輿論と稱する所謂弱を扶け强を抑ゆるの義侠論に外ならざりき》(同、pp. 45-46

【口語試訳】また、まったく早計にも、この際、直ちに我国より列国会議を招集し、朝鮮をヨーロッパのべルギーやスイスのような列国保障の中立国とすべきだなどと論議したものもあったと聞くが、これらはいずれも大概、個人の私的な会話に止まり、公に世間で言われるところは、社会一般の世論と称する「弱きを扶(たす)け、強きを抑える義侠論」に外ならなかった。

《余は固より朝鮮内政改革を以て政治的必要の外何等の意味なきものとせり亦毫も義侠を精神として十字軍を興すの必要を視ざりし故に朝鮮内政改革なるものは第一に我國の利益を主眼とするの程度に止め之が爲め敢て我利益を犧牲とするの必要なしとせり》(同、p. 46

【口語試訳】私は元々、朝鮮の内政改革が政治的に必要だということ以外は何の意味もないことだとしてきた。また、まったく義侠心でもって十字軍を立ち上げる必要性を見なかった。だから朝鮮の内政改革は、第一に我国の利益を主眼とする程度に止め、よって敢えて我国の利益を犠牲とする必要はないとしてきた。

《且(か)つ今囘の亊件として之を論ずれば畢竟(ひっきょう)朝鮮内政の改革とは素(もとも)と日淸兩國の間に蟠結(はんけつ)して解けざる難局を調停せんが爲めに案出したる一箇の政策なりしを亊局一變して竟(つい)に我國の獨力を以て之を擔當せざるを得ざるに至りたるものなるが故に余は初より朝鮮内政の改革其亊に對して格別重きを措かず又朝鮮の如き國柄が果して善く滿足なる改革を爲し遂ぐきや否やを疑へり》(同)

【口語試訳】一方、今回の事件としてこれを論ずれば、要するに朝鮮の内政改革とは元々、日本・清両国間でわだかまって固まり解決できない難局を調停するために案出された一つの政策であったが、情勢が一変し我国が独力でこれを担当せざるを得なくなったので、私は初めから朝鮮の内政改革自体に対しては格別重きをおかず、また、朝鮮のような国柄が果して善く満足なる改革をなし遂げることができるかどうかに疑問があった。【続】

日韓関係について(2) ~事実に基づかぬ朝日社説~

《これまでのところ深刻な経済ダメージが取りざたされるのは日本側だ。これまで中国に次ぐ2番目の規模だった韓国人観光客の足が遠のいた。

 日韓の間に位置する長崎・対馬の観光業者は「経営的に限界という声が少なくない」(長崎県対馬振興局)という》(2019年12月15日付朝日新聞社説)

 これもいい加減な話である。

《2019年1~10月累計の訪日外国人旅行者数(JNTO推計値)は、前年同期比3.1%増の2691万4400人となった》(2019年12月4日付観光経済新聞

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 韓国からの旅行者数が大幅に減少しているのに、全体としては、伸び率は下がったというものの3.1%増加している。

 成程、韓国と目と鼻の先にあり、韓国人旅行者に依存してきた対馬は日韓関係悪化の影響をもろに被(こうむ)っているようである。が、日本全体としては外国人旅行者数は伸びているのであるから、個別の問題として必要があれば手当を考えればよいことである。いずれにせよ、韓国人旅行者が減っては困るから日本が韓国に折れなければならないということにはならない。

地方自治体の多くが長年、交流事業を続けてきたが、夏以降は韓国から中止や延期を申し出るケースが相次いだ。

 韓国の輸入ビールで最も人気のあった日本産は統計上、日本からの輸出がゼロに。日本車の販売も大きく落ち込んだ》(同、朝日社説)

 だからどうなのか。日本はビールと自動車だけを販売して生活しているわけではない。全体的に見れば、日韓関係が悪くても大きな問題は日本にはない。敵対姿勢を露わにしているのは韓国の方であり、このような無礼な国には毅然(きぜん)として振る舞うことが必要である。慰安婦問題、徴用工問題、歴史認識問題など懸案事項がすべて解決するまでは友好関係を回復すべきでないと肝に銘じるべきである。

《文政権は自国の保守派を批判する材料として、植民統治下の日本協力者である「親日派」をしつこくあげつらってきた。

 朴槿恵(パククネ)・前政権が結んだ慰安婦問題での合意を事実上破棄したのは、自らが掲げる「被害者中心主義」に反するからだ、としている。だが、その代替策を示しているわけではない。

 徴用工問題でも、有効な方策を示していない。韓国の国会議長は一つの提案を示したが、被害者や支援団体に反発があり、文政権は静観している。

 事態の打開には、文政権の能動的な行動が必要だ。懸案を棚上げし、救済を怠ることは「被害者中心」にも反し、解決は遠のくばかりである》(同)

 <植民統治下の日本協力者>などという言い方は、反日韓国人でもあるまいに、失礼千万な言い回しである。

 また、日韓併合を「植民地化」と称して欧米帝国主義のごとく「搾取」したかのように言うのはやめるべきだ。

《朝鮮は日本の統治によって年々豊かになった。人口は、1910年の1313万人が、1942年には2553万人へと激増した。32年間で倍になったのである。植民地アイルランドの逆である。しかも、1人当りの国内総支出も、1910年の58円が1938年には119円と、2倍になった。人口が増えた上に所得がさらに増えた事業だけでも、朝鮮統治における世界史に例をみない日本の「善政」は、一目でわかる》(中川八洋『歴史を偽造する韓国』(徳間書店)、pp. 12-13)【続】