保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

平成日本について(2) ~反省なきマスコミ~

《平成の出典となった「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」の言葉には、日本と世界の平和と繁栄への思いが込められていた。

しかし90年代に日本が直面したのは、バブル崩壊の後遺症といえる金融機関の不良債権問題や長期デフレ、冷戦後の国際政治の激動という現実だった。

グローバル化の進展に伴って日本は産業構造を変え、成熟国家として社会の形を見直す必要に迫られた。しかし政府も企業も過去の成功体験を引きずり、痛みを伴う改革を先送りした。国際的な地位低下と財政の悪化に、有効な手を打つことができなかった》(4月30日付日本経済新聞社説)

 このあたりの分析はもう少ししっかりやり直す必要があるだろう。1980年代に起ったバブルとはいかなるものだったのか。バブルはいつかは弾けるものだとしても、どうしてこれほど急な弾け方になってしまったのか。今では「総量規制」なる役所の一通達が問題視されている。やはりこの問題は官僚の問題と切り離せない。

 「年功序列」「終身雇用」といった日本型職業慣行が崩れ、「護送船団方式」という会社経営体制も変更を余儀なくされた。今までやってきた成功方式が否定されれば景気が一転して悪くなっても仕方ない。

 今すぐにでも変えなければならないことと、ゆっくり変更すればよいことをしっかり見極めて変革に取り組むべきであったと思うけれども、あにはからんやグローバリズムの波には逆らえず、日本の長所、強みを生かすこともなく、一切合切が是非もなく変更させられてしまうかのようなこととなってしまった。そしてデリバティブをはじめとして禿鷹ファンドの餌食となってしまった。

《政治家も努力はした。有権者が政策本位で政権選択をしやすいよう、衆院選小選挙区制を導入した。首相官邸の機能強化や中央省庁の再編も実現した。それでも低成長時代を見据えた有効な手立てを講じてきたとは言いがたい》(同)

 小選挙区制の導入も省庁再編もそれこそが今日の政治の混迷を招いた一因だったのではなかったか。本来小選挙区制とは2大政党制を前提とし、政権交代によって権力の腐敗を防止する目的があった。が、政権交代の失敗に懲り、今の日本では小選挙区制であっても政権交代が起ることは考えにくい。

 一方で負の側面は明らかであり、小選挙区制のように人ではなく政党に投票する形では、「人」が出て来ず、公認権を持つ党中央が必要以上に力を持つことになってしまう。つまり、1強多弱の現在の日本の政治は小選挙区制が生んだ結果なのである。

 省庁再編にしても、文部科学省厚生労働省のように、異質なものを1つに再編してうまく行くはずがない。こういうおかしなことが平気で行われてきたのが平成という時代であった。

 否、こういうおかしな改革をするように仕向けたのが、マスコミではなかったか。日経社説子にはその自覚が完全に欠落してしまっている。【続】

平成日本について(1) ~刹那主義が蔓延した時代~

《日本は元号の二文字に託した願い通り平和な時代を過ごすことができたが、成長力の鈍化や人口減社会という新たな課題への処方箋を見いだせなかった30年でもあった》(4月30日付日本経済新聞社説)

 果たして平成は「平和」だったのか。「平和」だったと考えるのは、むしろ「平和呆け」なのではないか。

 平和だったのか平和でなかったのかは、おそらく「戦争」があったかどうかを判断としているのであろう。が、今や「戦争」は独り第2次大戦のような「熱戦」だけではなくなっている。

 20世紀の戦争は、主として領土を拡大するために「軍事力」を行使するものであったが、軍事力の行使には自分たちの被害も大きく、「費用対効果」の観点からも決して得策をは言えない。したがって、昨今では自国の領土を拡大するために別の手法が用いられている。例えば、「サイバー戦」「情報戦」といったものである。

 現代社会はネットワークで複雑に繋がれている。それは利点でもあり弱点でもある。便利でもあるが、そこには「脆弱性」が潜んでいる。一旦、このネットワークに侵入し、肝心要(かなめ)の部分を攻撃すれば、社会活動を麻痺させることが出来る。

 はたまた、歴史認識を巡る「情報戦」も精神的領土を拡大するための1つの「戦争」である。先の大戦において日本はアジアの国々に多大な迷惑を掛けたなどと日本は戦勝国史観の檻の中に閉じ込められ続けてきた。が、このようなことを言っているのはアジアの国々の中でもシナと朝鮮だけである。ここに共通するのは共産主義である。共産主義者たちが勢力の拡大を図って情報戦を仕掛けて来ているのである。

 それよりも何よりも、日本は戦後体制から脱却できていないという問題がある。沖縄米軍基地問題もその1つである。この問題を根本的に解決するためには、日米安全保障条約の見直しが必要であり、そのためには憲法9条の見直しがいる。そして米軍が日本から撤退する代わりに、国防軍を増強しなければならない。

 が、このような話は一朝一夕にどうなるものではない。中長期的視点が必要である。が、このような視点が日本にはまったくと言ってない。最右翼と目されている安倍政権の政策すら、戦後体制を見直すというよりも、むしろ戦後体制を強化しようとしているかのようである。

 「アベノミクス」と呼ばれる金融緩和政策にしても、短期的には有り得る政策ではあっても、これを続けることは中長期的にはむしろ有害である。円安株高によって不況にあえぐ既存の企業は一息ついた。が、これは延命措置を講じたに過ぎない。

 私は、円高という苦しい状態において「創造的破壊」(シュンペーター)を行うのが中長期的には絶対必要であったと思っているのだけれども、それが「アベノミクス」によっておじゃんになってしまった。言い方を変えれば、課題を克服するよりも、むしろ課題克服の芽を摘んだのが「アベノミクス」ではなかったかということである。【続】

「小島慶子『令和の皇室は生きづらさを覚える現代の家族の象徴だと思う』」について

<夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する>という小島慶子女史に分からないのは仕方のないことなのであろうか。小島女史は言う。

《新天皇が即位して、元号が新しくなる。それで時代は変わるのでしょうか》(AERA 2019年5月13日号

 少なくとも元号が変われば時代を見る立ち位置が変わる。たとえ同じ風景であっても、平成から見る風景と令和から見る風景とでは自ずと何かが違って見えるものである。

 が、時代は変わっても良いし、変わらなくても良い。元号が変われば時代は変わるのか、などと意気込んで問い質す必要はない。

上皇ご夫妻に、私は悼みと祈りを付託していました。両親は、子どものころに第2次世界大戦を経験しています。父は上皇さまと同い年でした。両親が経験した爆撃や飢えや貧しさを聞くにつけ、戦禍に倒れた多くの犠牲者たちに対して「何かしなくては」という思いが募っていきました。それがご夫妻の慰霊の旅によって果たされたような思いがしたのです。まして戦争を経験した世代にとって、それはどれほど重みのあることだったかと思います。同じことは公害や災害にも言えます。無力感や後ろめたさが、ひざまずくご夫妻のお姿によって和らぐような気がしました》(同)

 <戦禍に倒れた多くの犠牲者たちに対して「何かしなくては」という思いが募って>も何も出来ないもどかしさを上皇陛下の<慰霊>によって解消してくださった。皇室の有難さとはそういうものであろう。が、私は現世の問題を皇室に依存しすぎることをあまり好まない。現世の問題は今を生きる我々自身が主体的に解決すべきことである。

《私は、令和の時代の天皇に何を付託するのか》(同)

 天皇がいかなる存在であるのかを深く考えたことがない人たちがこのような問いを発するのは仕方のないことなのかもしれないが、当たり前であるが天皇は我々日本人の「便利屋」なのではない。困ったことがあれば、自ら大した努力をすることもなく、いとも簡単に容易く天皇に問題解決をお願い出来てしまうのが戦後日本人というものなのだろうか。

天皇、皇后両陛下は、人々の何を象徴しているのでしょう。国民統合の象徴という言葉は曖昧で、実感が湧きません》(同)

 天皇憲法の言う通り、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。小島女史はこのことを真剣に考えたことがないのであろう。だから実感が湧かないのである。

《令和の皇室は、国民統合の象徴というより、制度疲労を起こした共同体の中で生きづらさを覚える現代の家族の象徴であり、さまざまな葛藤を抱えながら伝統の読み替えと抑圧からの解放を模索する個人の姿を見る人も少なくないでしょう。むしろそのようなまなざしによって、私たちは共にあるということの新しい形を見つけるのではないかと思います》(同)

 天皇に<制度疲労を起こした共同体の中で生きづらさを覚える現代の家族>を投影するような日本人が多いとはとても思われない。<伝統の読み替え>とは具体的にどのようなこと意味しているのかよく分からないし、現代にあってマルクス主義よろしく<抑圧からの解放を模索する個人>などと考えている人がどれほどいるのか。

 自分が思ったことを自由に口に出来る。それは自分にとっては有難いことであろうが、社会にとっては迷惑なのかもしれない。そのことが分かった人と分からない人との文章では、その価値が違ってくるのは当然のことである。