保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「若者が『朝日新聞ぎらい』になった謎」などという謎の話(3)

元木昌彦氏は言う。

《安倍政権というのは、国際社会ではリベラル、若者に対してはネオリベ新自由主義=個人の自由や市場原理を再評価し、政府の個人や市場への介入は最低限にする)、既存の支持者に対しては保守、日本人のアイデンティティ主義者にはネトウヨと使い分けているから、あれほどモリ・カケ問題で噓をつきながらも支持率が急落しない》(「現代ビジネス」9/11() 17:00配信)

 安倍政権は第1次の頃は保守的であったが挫折し、第2次以降はリベラルに立ち位置を変えている。そのことに気付かない人たちがこのようなことを言うのである。意図的に容貌を変えているのではなくただ多面的なだけだけである。それを受け手がどう捉えているかの違いだけである。<あれほどモリ・カケ問題で噓をつきながら>としか見えない自分たちが大いなる偏見の持ち主なのだということが分からない。

《国際政治の世界では長く権力を握っている政治家が尊敬されますが、「極右」は相手にされません。安倍さんもそれがわかって、靖国にも行かなくなったし、東京裁判は「勝者の判断によって断罪された」なんてことも口にしなくなりましたよね》(同)

などというのも橘玲氏の妄想でしかない。

 2013年12月、安倍晋三首相が現職の首相としては7年ぶりに靖国神社を参拝した際、オバマ米大統領が「失望」を表明したということがあった。そのとき、親日派リチャード・アーミテージ氏は産経新聞古森義久氏のインタビューに次のように応えている。

「私は靖国は歴史関連案件のなかでも問題にしていない。日本の国民も首相も信仰として靖国を参拝する権利があると思う。安倍首相の場合、選挙の公約であり、中曽根、橋本、小泉氏ら歴代の保守派首相の先例もあり、参拝自体を論議の対象にすることもない」(《イザ』2014.3.30 14:08

 至極穏当な話であるが、これには続きがある。

靖国参拝はあくまで日本の問題であり、他の国が日本の首相に参拝するな、と迫れば、日本側ではそれまで靖国にそれほど熱心でなかった人たちまでが逆に動くという反応を呼ぶだろう。ただし首相の参拝が中国外交を利さないようには注意すべきだ」(同)

 首相の靖国参拝が中国の外交カードとして利用されないように注意すべきだというのは残念ながらこれまた穏当な分析であろうと思われる。中国が問題にしているのは靖国神社A級戦犯が合祀されていることであるから、誰を祀っているのかが書かれた「霊璽簿(れいじぼ)」をなくせばよいと思っているのであるが、これについては別の機会に論じたい。

 東京裁判が公正な裁判というものではなく単なる勝者のリンチであったことは明らかである。が、それを公言するのは中国は言うに及ばず米国までもが「歴史修正主義」だと騒ぎ立てるので「封印」しただけである。それはただ戦勝国の圧力にひれ伏しただけである。(了)

「若者が『朝日新聞ぎらい』になった謎」などという謎の話(2)

戦後日本に吹き荒れた共産主義思想を知らぬがゆえにおかしな先入見を持たぬ若者たちが朝日新聞を好きになる謂(いわ)れはない。否、「反権力」を標榜して実際やっていることと言えば政権の足を引っ張ることだけでは嫌われて当然なのである。

 にもかかわらず、若者が朝日新聞嫌いになったのが「謎」だと言うとすれば、元木氏は余程偏見で目が曇ってしまっているに違いない。

 橘玲(たちばな・あきら)氏は言う。

《年配の人は当たり前のように安倍政権は右で共産党は左だと思っているけれど、実は30代ぐらいを境にして左右逆転して、今の若者は自民党がリベラルで共産党は保守だと思っています》(「若者が『朝日新聞ぎらい』になった謎を考える」:「現代ビジネス」9/11() 17:00配信)

 橘氏の言う<年配の人>の代表が政治家でありマスコミである。安倍晋三氏をヒトラーにたとえ、安倍政権の暴走を許すなとやってきたのが左寄りの人たちであった。が、「1億総活躍社会」を看板に掲げる安倍政権は「大きな政府」を志向する政権であり福祉主義的である。したがって、安倍政権を否定すればするほど、本来の自分たちが居るべき場所がなくなってしまうという構造にある。

 安倍政権の政策は「リベラル」と呼ぶに相応しい。にもかかわらず安倍政権を「右」ましてや「極右」と言っている人たちは、座標軸から左にはみ出てしまい、現実から乖離(かいり)した時代遅れの「吹き溜まり」のような存在でしかなくなった。

 <自民党がリベラルで共産党は保守だ>の基軸にあるのが「戦後体制」である。自民党は戦後体制を改革しようとしているという意味で「リベラル」であり、共産党は固守しようとしているという意味で「保守」ということになる。

 が、誤解してはならないのは、安倍政権は何をどう改革しようとしているのかということである。なるほど第1次安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げていた。が、今の安倍政権はむしろ戦後の不具合を改革し「戦後レジームの完成」を目指しているかのようである。つまり、今行われている政治の綱引きは、戦後体制をそのまま維持するのか「改善」するのかの違いであって、敗戦によって寸断された日本の文化伝統を取り戻すためのものではないということである。その意味で今の日本の政治には「真正保守」は存在しないのだと思われる。

《若者が保守化したのではなく、ずっとリベラルなままなのに、かつての「リベラル政党」が保守化してしまった。その結果、現実的な政治をする自民党しか選べなくなったと考えると、今起きていることがすっきり理解できます》(同)

橘氏は言う。が、若者がずっと「リベラル」なままというのは何をもって言っているのだろうか。若者は安倍政権のリベラルな政策を支持していると言うよりも現状を肯定しているに過ぎないのではないか。これは「リベラル」でも何でもない。(続)

「若者が『朝日新聞ぎらい』になった謎」などという謎の話(1)

《『朝日ぎらい』を上梓した橘玲(たちばな・あきら)氏によると、最近の朝日批判の盛り上がりは、昔と位相を異にしているという。

 朝日に代表されるリベラル派が、「憲法にせよ、日本的な雇用にせよ、現状を変えることに頑強に反対する」守旧派に成り下がってしまったと喝破する。保守派である安倍政権は、リベラルな政策を次々に打ち出して、若者たちに支持されているという》(元木昌彦「若者が『朝日新聞ぎらい』になった謎を考える」:「現代ビジネス」9/11() 17:00配信)

 この問題を考えるにあたって、やはり先に用語を整理しておく必要があるだろう。<保守派である安倍政権は、リベラルな政策を次々に打ち出し>などというのは明らかに矛盾した言い方である。安倍政権がリベラルな政策を次々に打ち出しているというのであれば、それは安倍政権が保守派でないということにほかならない。

《今日の日本では“保守”が政治的権力を掌握し、これに対して“リベラル”がその対抗勢力であるかのように語られる。しかし、元々は“保守”の側が抵抗勢力であった。フランス革命が生み出した自由・平等・人権等の普遍性を唱え、それを政治的に実現すべく、市民革命によって権力を掌握した革命派がリベラル(左翼)であり、それに抵抗して、伝統的社会秩序や伝統的価値観を重視したのが保守である》(佐伯啓思『異論のススメ』「保守とは何か…奇っ怪、米重視で色分け」:2016年10月7日付朝日新聞

 確かに「生産性革命」だの「人づくり革命」だのと安倍政権は「革命」という言葉が随分お好きなようであることからして、安倍政権を「リベラル」と称するのは強(あなが)ち誤りではないように思われる。少なくとも「変革」に懐疑的な「保守」ではない。このことが理解されていないからマスコミをはじめとする多くの議論が的外れとなってしまうのである。

 では朝日をはじめとする左寄りの人たちはどうか。彼らの拠り所であった左翼思想がソ連邦崩壊によって力を失い、残ったのは「反権力」だけとなった。よって、反安倍政権こそが彼らの存在意義となってしまったのであるが、安倍政権が「リベラル」色を強めるにつれ、反権力=反リベラルであるかのような矛盾を抱えることとなってしまった。

 改革を推し進める安倍政権に反対する勢力、それはまさに「守旧派」と呼ぶに相応しい。彼らは日本の伝統歴史を保守しようとしているのではない。GHQによって敷かれた戦後体制を旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)しようとしているだけである。

 GHQは占領下において、二度と再び米国に歯向かわないよう日本を骨抜きにする政策を敷いた。だからマルクスを知らぬ若者たちの目には、守旧派はただ「反日」的に映るのであろうと思われる。(続)