《憲法が定められてから50年以上たちますが、その間にさまざまな新しい問題が生まれてきました》(櫻井よしこ『憲法とはなにか』(小学館)2000年刊、p. 42)
逆に言うと、憲法制定当時は(大きくは)問題がなかったという認識である。
《時代の変化とともに新しい権利に対する考え方も次々に生まれてきました。たとえば、憲法には国民は健康に暮らす権利があると定められていますが、その中に環境権という用語は入っていません。同様に「知る権利」についても、憲法制定当時には考えられていませんでした。日本は憲法を一度も改正せずにきたため、そうした権利規定が抜け落ちているのです》(同)
しばしば現憲法は、表裏一体であるべき権利と義務の平衡を欠いていると言われるが、櫻井女史の指摘も「屋上屋を架す」ものである。現行憲法のような、歴史に棹差さぬ観念の体系としての憲法は、このように平衡を欠き易(やす)いのだ。
保守派にとって改憲論の要諦(ようてい)は、時代合わせた「観念憲法」の保全修正ではない。日本の文化伝統に基づく真の「日本の憲法」を制定すること、詰まり、「自主憲法」制定でなければならないはずだ。日本の主権が剥奪された占領下において、日本を弱体化するために、マッカーサーによって宛(あて)がわれた「日本国憲法」という名の「占領基本法」をどうしていつまでも後生大事に守り続けるのか不思議である。
私はこれまで、日本のような長い歴史を有(も)つ国の憲法は、成文法ではなく、英国のように不文法であるべきだと言ってきた。詰まり、法理は、成文憲法ではなく、文化、歴史、伝統の内にあるという考え方だ。
が、一足飛びにこのような話を持ち出しても国民の理解は得られないどころか見向きもされないであろうから、憲法に対する国民の意識を高めることが何よりも先であると思われる次第である。【了】