保守論客の独り言

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日本共産党の無理(2) ~「敵の出方論」~

共産党志位和夫委員長は8日に党本部で開いた中央委員会総会で、党内で1950年代以降に使われた「敵の出方論」という表現を使用しない方針を表明した。公安調査庁はホームページで共産について「革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする『いわゆる敵の出方論』を採用」と説明し、暴力革命の可能性を否定していないとの見方の根拠になっていた》(毎日新聞 2021/9/8 17:20)

 逆に言えば、日本共産党はこれまでずっと敵の出方次第では暴力の使用も已む無しと考える集団だったということである。

共産党…は昭和26(1951)年の第5回全国協議会で「日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」「武装の準備と行動を開始しなければならない」との方針を決定。「51年綱領」と呼ばれるこの方針に基づき警察襲撃事件などが相次いだ。

 共産党は現在、「分裂した一方が行ったこと」と関与を否定しているが、33年に「51年綱領」を廃止。36年に民主主義革命から社会主義革命に至る「二段階革命」を規定した綱領を採択した。

 このころ、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」との「敵の出方論」が登場。政府は「暴力革命の方針」として調査を継続している》(産経ニュース2016/3/23 00:27

 不破哲三日本共産党前議長も次のように言っている。

《わが覚が、革命への移行が最後的には「敵の出方」にかかるという立場をとっているのは、党と革命勢力が国会の多数を基礎に、人民の政府をつくり、革命への平和的、合法的な前進をめざして活動しても、その過程で、反動勢力が不法な暴力を行使する場合、そのかぎりで情勢の「非平和的な局面」がうまれる可能性をまったく否定してしまうわけにはゆかないからである》(『人民的議会主義』(新日本出版社)、p. 244)

 よって、安倍内閣(当時)が鈴木貴子衆院議員の質問主意書に対する次のような答弁書閣議決定したのも当然であろう。

《御指摘の昭和57年4月1日の参議院法務委員会において、鎌田好夫公安調査庁長官(当時)が、破壊活動防止法に基づく当時の調査対象団体の数について「いわゆる左翼系統といたしまして7団体、右翼系統といたしまして8団体程度」と答弁し、当該調査対象団体の名称について「左翼関係としましては日本共産党・・・等でございます」と答弁している。

 日本共産党は、現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である》(2016年3月22日付)

 志位氏が今回降って湧いたかのように「敵の出方論」の封印を宣言した背景には、来たる総選挙に向けて「野党共闘」をより円滑に進めたいという意図があったからではないかと推察される。【続】