保守論客の独り言

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「ワクチンパスポート」について(2) ~経団連の思惑~

経団連はイベントの入場、国内ツアーの参加、介護施設医療機関での面会などで、人流の制限緩和に活用できると提案している》(7月26日付産經新聞主張)

 <人流>という言葉はコロナ禍で生まれた造語である。物の搬送における「物流」のごとく人を流れとして捉えるのは「傲慢」に聞こえる。所謂人流とするでもなく括弧付きで「人流」とするでもなく、一般名詞として<人流>と書くのは軽率であろう。

 それは扨措(さてお)き、経団連厚顔無恥には呆(あき)れてしまう。そもそもコロナの問題の発端は「ザル入国」にあった。要は、経団連が自分たちの都合の良いように外国人の入国を制限させないよう政府に圧力を掛けたのではなかったか。政府が唯々諾々と経団連の要望を呑むからおかしなことになるのである。

《活動再開への安心感が広がれば、ワクチン接種への理解もさらに深まろう》(同)

 これは頂けない。<ワクチンパスポート>を用いた活動が広がれば、パスポートがなければ活動が制限されるので、ワクチン接種せざるを得なくなるということになりかねない。つまり、理解が深まるというような話ではないということである。

加藤勝信官房長官はワクチンパスポートの発行に関連し、「接種の強制、接種の有無で不当な差別が生じることは適切ではない」と述べた。これが国内運用に二の足を踏む主な理由なのだろう。

 ワクチンを打たない判断は、もちろん尊重されるべきだ。健康状態などを踏まえて接種したくてもできない人もいるだろう。

 だが、有事対応でいたずらに公平性にこだわることこそ適切ではない》(同)

 今は<有事>だから、多少公平さを欠くとしても、<ワクチンパスポート>を活用して経済を回せばよいのだということであるが、いつから産經新聞はこんな「御用新聞」と成り下がってしまったか。

 勿論、不当な差別が生じることばかりに気を取られても仕方がないのであるが、だからといって、<ワクチンパスポート>のような怪しげなものを推進してよいことにはならない。

 ワクチンを接種していても変異株への感染は防げない。だから、経済活動を通常に戻せば、おそらく感染者数は拡大するに違いない。

 が、ワクチンを接種していれば感染しても重症化は防げる。若者はもともと感染しても重症化しないので、高齢者のワクチン接種が一定終わっているのだから、これからは感染者数に拘るのではなく、重症者数と医療機関の逼迫具合を見ながら、経済活動を戻していけばいいのである。

 <ワクチンパスポート>にこだわるのは、何かワクチン利権でもあるのではないかとむしろ疑ってしまう。

《8月から、高齢者に続いて現役世代、若者へのワクチン接種が本格化する。ワクチンの普及は新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込む切り札だけに、スピードが緩むことがあってはならない》(「確かな情報で現役・若年層への接種促せ」:7月29日付日本経済新聞社説)

 何をもって<切り札>などと言っているのかが分からない。重症化しない若者にまでワクチン接種を拡大する必要は果たしてあるのだろうか。【続】